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2022年06月03日

 ブログの当番が回ってきたのは4月でしたが,早いもので5月が過ぎ,もう6月です。

 実は,私にとって一年中でいちばん「やる気」が出ないのが5月頃なのです。寒かった冬から暖かい春を迎え夏に向けて少し暑くなってきたころに花粉症が重なると,「やる気」が出なくなってしまいます。これは,新入社員や転勤したサラリーマンなど,環境が大きく変わった人に現れる五月病に似たものなのではないでしょうか。気候の変化も社会環境の変化も体にとっては同じ変化なのですから。
 また,いまのコロナ禍では制限が多く,行きたいところも密を避けるために控えてしまったりして,それが「やる気」の出ない原因にもなっている気がします。最近,感染者数が減ってきて,マスク制限を緩和してもいいのではないかという議論も出てきましたが,まだ気を緩められません。

 学生時代を振り返ると,「やる気」が起きずレポートに取りかかるのが遅くなり,締切りに間に合わなかったことがありましたが,ある研究によると,やるべきことになかなか取りかかれないのは,人間に「気分良く過ごしたい」という欲求があり,やらなければならないことのための焦りや緊張のような不快感を避けたいという無意識の働きが備わっているからだそうです。
 先送りして一時的にこの不快感を回避しても,いずれやらなければならないため,先送りしたことを後悔したり,自分はできない人間だと責めてしまったりします。このネガティブな思考もまた「やる気」をなくす要因となってしまいます。
 この負のスパイラルを断ち切るためには,完璧を目指さず「とにかくやる」という意識をもってとりかかることが大事です。一度やり始めれば気が楽になり,下手でもいいから「とにかくやる」習慣がついてきます。また,やるべきことをやらされると考えるのではなく,それをやることで自分の経験や知識が増え,自分にとってプラスになると考えれば,取りかかるときの不快感も気にならなくなります。「ピンチはチャンス」のように,日常的にプラス思考をすることで「やる気」が出やすくなるのではないでしょうか。

 また,「やる気」という言葉は,「進んで物事を成し遂げようとする気持ち」を表し,行動するときの動機にかかわりますが,私たちは「やる気」とほぼ同じ意味で「モチベーション」という言葉を使います。「モチベーション」は心理学の研究対象にもなっていて,最近の研究で注目を集めているのは「習慣」だそうです。
 私たちは毎日,朝起きて朝食を食べ,歯を磨き,身支度を整え会社に行くというように,決まった行動を「習慣」として行っていますが,この「習慣」にも「やる気」が関係しています。
 あるノーベル賞学者が提唱した「思考の二重プロセス」という理論によると,人間の思考には意識されずに素早く働くシステム(これを「システムA」とする)と意識下で緻密に慎重に働くシステム(「システムB」とする)があり,必要に応じた役割分担があります。
 システムAには直感や印象,経験則などが含まれ,限られた情報を基に概ね適切な判断を行いますが,システムBには,たまに間違えることのあるシステムAをチェックして修正する役割があります。人間の情報処理能力には限界があり,日常生活のすべての行動について緻密に考えると労力がかかりすぎるため,このような仕組みが備わっているようです。
 このシステムAには,物事を関連付けてその中にあるパターンを習慣化しようとする働きがあるそうです。新しい担当の仕事を始めるときの自分を振り返ってみると,初めて取りかかるときは考えながら慎重に取り組みますが,繰り返し同じ仕事をしているうちにだんだんスムーズにできるようになります。思考のシステムの中で無意識に習慣化しているわけです。
 ところが,ストレスや疲れなど様々な要因からシステムAが正常に働かなくなると,「やる気」が出ないという状態になってしまい,思考のシステムが正常に機能しなくなり取りかかれなくなるのです。人間の思考と「やる気」は密接に関係しているわけです。

 ところで,長野には「ずく」という方言があります。「惜しまず精を出して働く気力」とか「根気」「やる気」などの意味で使われ,怠けることを「ずくなし」と咎めたり,こまめによく動く人を「あの人はずくがある」などと褒めたりします。
 実は,ずっと前から物置の中を片付けなければならないと思っていたのに,「ずく」が出なくてそのまま放置していました。ところが先日,車のタイヤがパンクして,取り換えるタイヤを物置から出そうとしたときに,物置の中が片付いていなかったためタイヤを出すのに苦労しました。このとき,このことがきっかけでなぜか「ずく」が出て,タイヤ交換をした後に物置の片付けもできました。やらなければならないことがきっかけになって「ずく」が出たわけです。

と,書いているうちに,自分は何が言いたいのかよくわからなくなってしまいました。もしかしたら,なかなかブログを書く気になれなかった(「やる気」が出なかった)言い訳をしようとしていたのかもしれません。悪しからず,ご容赦ください。


(N)


(16:50)

2021年04月05日

突然ですが,皆さんにとっては興味のない話題かもしれません。悪しからず・・・。
私は高校生のとき,ラグビー部に入っていました。ガチのラガーマンでした。当時(38年前!)はラグビーが流行り始め,高校でもラグビー同好会が立ち上がったばかりでした。2年生のときに友人に誘われて入部したところ,すぐにラグビーの面白さにのめり込みました。ラグビーは,ボールの形だけでなく,ゲームの中でスクラムやラインアウトなど様々な要素があり,異なる役割をもったバックスとフォワードがワン・チームになって1つの楕円球を追いかけるということがとても面白いと思ったのです。

部活はランニングで始まり,冬は雪の積もったグランドでランパスをしたり,タックルの練習をしたりしました。当時は冬といえば大体辺り一面雪景色で,現在よりも寒かったと思いますが,練習後は暑くて暑くて,帰りにアイスクリームを買い食いしていました!(WWW)

夏休みの菅平での合宿は,体力の限界への挑戦でした。真夏の焼けるような太陽の下で,ひたすら楕円球を追いかけて走りまくりました。菅平はラグビーのメッカとして有名で全国から高校生が合宿に来ているので,強豪校とも練習試合をしました。試合でボロクソに負けた後,よくグランドを走らされたものです。

時が経ち2019年には,ラグビー・ワールドカップと「ノーサイド・ゲーム」というドラマを通じてラグビーが盛り上がりました。このドラマのタイトルになった「ノーサイド(No side)」とはラグビーの試合終了のことですが,この言葉には試合終了だけでなく,試合終了後は敵・味方関係なくお互いの健闘をたたえ合うという精神が表現されています。日本では「ノーサイド」の精神として,ラグビーに限らず,対立していた者同士が和解したときにも使われる一般的な言葉になっています。 

一方,海外では,ラグビーの試合終了のときには「ノーサイド」ではなく「フルタイム(Full time)」というそうです。昔は海外でも「ノーサイド」が使われており,試合終了後に敵・味方関係なくお互いの健闘をたたえ合うという精神は今もラグビーの根底にありますが,海外では「ノーサイド」という言葉は使われなくなったということです。なぜ,日本にのみ「ノーサイド」が残っていて,これだけ一般的に広まって定着しているのか,その背景には日本独自の文化があるようです。

いずれにしても「ノーサイド」の精神で敵・味方を作らず,様々な役割の人たちがワン・チームになって,どこに転がっていくかわからない楕円球を追いかけるという姿は,これからの私たちの行動の指針として,示唆に富んでいるのではないでしょうか。

(N)


(10:44)

2020年10月09日

今年度改訂版を発行した「理科学習帳」には様々な新しい資料を掲載した。
その中で一番印象に残っているのは,6下の最後の単元「人と環境」に掲載した「気候変動」という資料だ。

世界の年平均気温は19世紀後半以降,100年に0.72℃の割合で上昇しており,
世界の年平均海面水温は1891年~2016年の間,100年で0.53℃の割合で上昇しているという。
北極海の氷は1901年~2010年の間,1年でおよそ北海道と同じ面積の海水面に浮かぶ氷が解けている。
地球が温暖化しているのはデータからも明らかだ。
その影響が様々な異常気象という形で世界各地に被害をもたらしているのもご存じだろう。

地球温暖化の原因についてはさまざまな説があるが,最も大きな原因は,温室効果ガスの排出だ。
近年は世界的に意識が高まり,排出量は横ばいだが,依然高い水準で,減少傾向にはなっていない。
温室効果ガスの排出の主な原因は,電気を作るための発電に必要な化石燃料の燃焼である。
改めて私たちの便利で快適な生活が地球に及ぼす影響を考え,もっと意識を高めなければならないと思う。

この温室効果ガスの排出を減少させ,地球温暖化を防ぐ手立ての一つとして自然エネルギーの利用がある。
「理科学習帳」6下の「電気の利用」という単元に掲載した「自然エネルギーによる発電」という資料にもあるが,発電するために利用できる自然の力は身のまわりにあふれている。
太陽光,風の力,海面の波の上下運動や海流,川の流れ,海の潮の満ち引き,地球内部の熱など実に様々だ。
これらの自然の力を利用する発電は温室効果ガスの排出を極めて少なくできるというだけでなく,
地球がある限り半永久的な利用が可能であるし,小さな施設でも発電ができるという利点もある。

ただ,現在の技術では発電能力が小さいため,大量の発電にはコストがかかるという大きな課題がある。
いま,自然エネルギーをもっと効率よく活用できるようにするための研究が世界各地で行われている。
画期的な発明により,現在よりも圧倒的に効率よく自然の力を電気に変えられるようになり,
世界中の人々がその恩恵にあずかることができるようになれば,
その発明は間違いなく「ノーベル賞」級だろう。

少し話が大きくなってしまったが,理科教科書にそって基礎・基本が身につくだけでなく,
そんな夢も語れる新しい「理科学習帳」をぜひお使いいただきたい。

(N)



(12:59)

2020年05月01日

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言の中,人との接触を減らすために,家にいよう! Stay home! ということで,気軽に外出できず,ストレスがたまり気味の今日このごろです。未知のウイルスと戦っていかなければならないため,テレビや新聞,インターネットの情報に頼らざるを得ませんが,このウイルスは世の中に多大な影響を及ぼしているようです。

「戦争」とも表現される新型コロナウイルスとの戦い。この最前線にある病院では,感染防止のためのマスクや医療用ガウン,フェースシールドなどの医療資材や病床の不足などから,医療崩壊の危機に瀕しています。この逆境の中で必死に戦っておられる医療関係者の方々には頭が下がる思いです。心よりエールをお送りいたします!

このウイルスは教育現場の学校にも大きな影響を及ぼしています。3月から引き続き4月も休校となり,子どもたちは自宅待機を余儀なくされています。普通なら教室で新しい教科書を使った学習が進められるはずだったのですが,子どもたちはいま,家で様々な課題を自ら学習したり,オンライン授業を受けたりしています。中には,幼稚園から中学校までのすべての子どもにスマートフォンを配り,先生の動画を配信している自治体もあるようで,その取り組みは地域によって異なるようです。

文部科学省が提唱している「GIGA(ギガ)スクール構想」は,全小中学生,約950万人に一人一台のパソコンやタブレット端末を配付する計画で,当初は今後4年間でその費用を順次負担していく予定だったところを,今回の補正予算に全額盛り込んだとのこと。これで一気にデジタル化が加速するかもしれません。

一方,この長引く休校中にオンライン授業を進められる学校は限られることから,地域間の学力格差が広がることが懸念されたり,主だった大会や行事が軒並み中止に追い込まれたりしたことから,その解決策として9月入学制の導入がにわかにクローズアップされています。9月入学制になれば,海外との留学生の交流がよりスムーズに盛んになるため,グローバルな人材育成にはメリットが大きいかもしれませんが,そうなると,社会全体の仕組みを見直す必要があります。

どなたかがおっしゃっていたように,もしかしたら本当にパラダイムシフトが起こるかもしれません。そうなる前にタイムマシンで未来へ行って,どんなパラダイムシフトが起こると,どのような未来になるかということを見られればいいのですが・・・。

話が少しそれてきてしまいましたが,いまはまず外出を控え,人との接触を控えること。それから,学校が再開されたときに備えて自分たちの役割を果たしていくことに努めなければなりません。

(N)


(11:21)

2019年07月11日

今回は何を書こうかと思いをめぐらせていたところ,
ある時ふと,「マツ」(?)という言葉を想起したので,
「マツ」にまつわることを書いてみようと思います。
 
車を運転していると,(当然ですが)「待つ」ことの大切さをしみじみと感じます。
善光寺周辺では絶え間なく続く観光客の切れ目をちゃんと待たなければならないですし,
混雑しているスーパーの駐車場では,買い物を済ませた人たちが通り過ぎるのを
待たなければなりません。
最近は道路を渡ろうとしているお年寄りを待つことも増えた気がします。
 
同じ「待つ」でも,違う世界の違う場面では,「待つ」ことの意味が異なってきます。
将棋の世界では,勝負どころでどちらかがじっくり考えている間,
対戦者は相手を待たなければなりません。
実はこの,相手を待つときの姿勢で勝負が決まるくらい,
将棋の世界では「待つ」時間は大切なのだそうです。
 
また,宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の戦いはよくご存じだと思います。
2時間も待たされた小次郎は,武蔵が現れるや否や勢いよく刀を抜き,
大事なさやを水中に投げ捨ててしまいます。
これを見た武蔵は「小次郎,敗れたり。勝つつもりならば,さやを捨てたりしないはず。」
と言って,最後に小次郎に勝った話はあまりにも有名です。
どんなに待たされても決して焦ってはいけない,「待つ」ことの大切さを物語っています。
 
ところで,同じ「マツ」でも今度は「松」についてですが,
先日,チ〇ちゃんが叱っているTV番組で,松竹梅のことが話題になっていました。
その中で,なぜ「松」が一番上位とされているかについて解説していましたが,
それによりますと,松という植物は常緑樹で冬でも青々としていることから,
不老長寿を示す縁起の良い木と考えられたのが由来で,
だから門松にも使われているわけです。
 
ちなみに私は中学生のころ,「松」田聖子のファンクラブに入っていました。(笑)
今の私の顔を想像してふきだしている方もいるかもしれませんが,
私も中学生の頃はまだ子どもっぽかったのです。
 
決してふざけるつもりはありませんが,特に何が言いたいというわけでもありません。
強いて言えば,いまの自分の頭の中がまさにこのような雑多な状態なのだと思います。
来年度の改訂に向けて待ったなしですが,焦らずに時間を大切にしたいと思います。
 
N


(15:19)