2021年06月25日
あるとき,新聞を見て気がつきました。
「三六災害は,今年で60年目なんだ……。」
昭和36年梅雨前線豪雨。
同年6月23日ごろから7月初頭にかけて伊那谷を襲った集中豪雨は,天竜川を氾濫させ,各所で堤防の決壊、土石流、がけ崩れを引き起こしました。県内の死者行方不明者は136名,浸水家屋1万8千戸以上、土砂崩れは約1万箇所にものぼりました。
その未曽有の大災害・通称「三六(さぶろく)災害」から,今年で60年目です。
私は伊那谷出身ですが,最近まで三六災害についてはほとんど関心をもっていませんでした。しかし,当時4歳で龍江地区に住んでいた父が,大水で溢れかえる天竜川を見た,と話してくれたことがきっかけで,三六災害についての本を読んだり,当時を知る人々の体験が語られる新聞記事を熟読するようになりました。
母からは,三六災害のとき,家の西側にそびえている山が崩れた,と聞きました。しかも近所では崩れた土砂に巻き込まれた家もあったという……。そのとき転がってきた大岩も,いまだに近所に残っているというから驚きました。
私は初めて,実家付近のハザードマップを見てみました。確認すると,家のあたりは土石流の警戒区域となっていました。今も昔も,条件がそろえば危険な場所であることに変わりはないのだ,と驚きました。
60年前の『信濃子ども詩集』に,三六災害のことを書いた子がいたかもしれないと思い,災害が起こった昭和36年(1961年)の翌年に出た詩集を見てみました。
そこには,大水が友達の家や田んぼを流してしまったこと,堤防に大きく波が押し寄せるのを見たこと,天竜川の濁流が悪魔のように襲いかかってきたこと——そんな光景と向き合った子どもたちの詩がありました。「三六災害」という言葉は出てこないけれど,きっとその未曽有の災害を経験した子どもたちだと思いました。
「天災は忘れたころにやってくる。」
誰もが一度は聞いた言葉だと思います。
前述した私の実家近くの山は,三六災害の直後は崩れた跡が残っていたそうです。今,その跡はまったく見えません。木々の深緑に爪痕が埋もれても,人々の記憶まで埋もれさせてはいけないのだと感じました。
——今年の夏,飯田に帰ったら,美術館で行われている三六災害の展示を見に行こう。
私たちのような直接災害を知らない世代も,これを風化させず,自然をあなどらず,命を守っていかなくてはいけないのだと思います。
(17:25)