2021年06月04日
「本棚を見れば,その人がわかる」ということばがあります。どんな本を読んでいるのかを見ることで,その人の興味・関心や好み,どんなことを大切にしているのか,などを読み取ることができるというわけです。
しかし現代なら,スマホやタブレットのデータを見ることで,本棚を見るよりも何倍も詳しく,その人のことがわかってしまいます。例えば,インターネットの閲覧履歴を見れば,その人がいつどこで何をして,何を買ったか,どんなことに悩んでいるか,どんな趣味があるのか,何を知りたいのか……ということが,かなりの精度でわかります。
今や,日々いろいろなところで私たちのデータが蓄積されています。こうしたデータは,ネット広告や,ショッピングサイトのおすすめ商品の提示といった仕組みなどに活用されています。例えば,「この人は高級化粧品に興味がありそうだな」と判断されれば,いろいろなところで高級化粧品がおすすめされるようになる,というわけです。
デジタル社会の昨今では,データは新しい天然資源なのだ,と言われることもあります。
そのくらい,私たちのデータというのは,多くの可能性を秘めている貴重な存在なのです。
教育の世界でも,ICT機器が積極的に導入され,先生はもちろん,児童生徒にも一人一台のタブレットPCが導入されつつあります。それに伴い,教育現場でも様々なデータが蓄積されるようになっています。
そうなれば,当然そうしたデータを活用していこう,という動きが出てきます。
令和3年3月には,「教育データの利活用に関する有識者会議の論点整理(中間まとめ)」が出されました。そこには,児童生徒の学習面や生活・健康面のデータや,教師の指導・支援のデータを取ることで,児童生徒の状況の変化を捉えてつまずきを早期に発見する,授業改善や生活指導に役立てる,保護者への情報提供や学校経営の充実化を図る,などの活用例が示されています。
少し抽象的でわかりにくいですが,データというのは,教師が子どもを見るための新しい「目」になり得るものである,と私は捉えました。
先生方は,もちろん自分が担当する児童生徒のことをよく見ていらっしゃるでしょうし,それぞれの学習状況や特性なども把握されていると思います。
それに加えて,一人一台のタブレットと学習履歴などのデータがあれば,より多くのことがわかるようになります。紙のノートでは,先生がクラス全員のノートを同時に見ることはできませんが,タブレットであれば,全員のノートを同時に見ることはもちろん,ログを取ることで全員の思考のプロセスを追うこともできます。従来の授業ではなかなか見えなかった児童生徒の考えの変化や,学習のつまずきなどにも気づけるようになるかもしれません。
ある先生から,「いい教師は『目』が違う」と教えてもらったことがあります。
子どもが発言しているとき,あえて発言していない子どもにも目を向ける。目立つ子どもだけを見るのではなく,目立たない子どもにも目を向ける。普段の生活の中に見える,行動や表情,話すことばの変化に目を向ける。
こうした先生の「目」に加えて,データによる教師の第三の「目」が加わることで,より視野を広く,子どもをひとりひとりしっかり見ることができるようになります。データによって,さらに児童生徒に対して個別化された指導ができるようになれば,児童生徒にとっても,学校現場にとっても,夢がある話ではないでしょうか。
こうしたデータの利活用は,よい面もある一方で,プライバシー侵害や,本人が望まない形でのデータ利用が問題になることがあります。
例えば,大手就活サイト「リクナビ」の事例があります。就活学生のネット閲覧履歴などをもとに,応募学生が内定を辞退する可能性を予測し,そのデータを採用側の企業に販売していたという問題です。
選考を受ける本人からすれば,自分の知らない間に恐ろしいデータが提供されていたことになります。もし,採用担当者が,目の前の学生に対して,「この人は,内定を辞退するかもしれない」とデータで示されたら,どうなるでしょう。合否に影響した例はなかったという調査結果が出ていますが,採用担当者の心情に本当に影響がなかったのかどうか,それを証明することはできません。
結局このサービスは,個人情報保護委員会と厚生労働省から行政指導を受けるなど大きな批判を受け,サービスの停止に追い込まれました。
こうしたことが,教育界に起きないようにしなければなりません。
先に述べたように,これから積極的に蓄積されていくであろう教育にまつわるデータは,先生方の第三の「目」となり得ます。確かにそこには,大きな可能性があります。
しかし,やはり最後は,先生自身の「目」が優先されるべきだと思うのです。データによって,その目に色眼鏡をかけられるようなことは,あってはなりません。

さて,弊社も一人一台のタブレットで使える,学習者用デジタル教科書を発行しています。
教育データの利活用という取り組みにも,いずれは目を向けていくことになるのかもしれませんが,そうした先進的な動向だけにとらわれず,長い目で本質を見極めていきたいと思います。地域に根差した出版社として,まずは先生方の足元の現場の実践をもとに,より使いやすいデジタル教科書を令和6年度に発行できるよう,制作を進めてまいります。
とはいえ,日進月歩のデジタル社会を相手に,悠長なことは言っていられません。GIGAスクール構想や学習者用デジタル教科書実証事業などによる学校現場の変革によって,教育のICT化の取り組みが大きく注目されるようになっています。
「人目を奪う」変革期。私たちにとって,「目が離せない」状況が続きそうです。
(20:09)