2016年01月08日

新年 あけましておめでとうございます

信教出版は,1月5日が仕事始めでした。
現在は,平成28年度の教材制作の最終段階でてんてこまいです。
4月より,長野県の先生方,児童生徒のみなさんにお届けできるよう,あと一息,頑張ります。


さて,
今年の年末年始休業だが,大掃除,初詣,あとは家でゴロゴロ。それで終わってしまった。
そんな中で,特に心に残ったのが,
BS朝日放送の「世界遺産で神話を舞う ~人間国宝・能楽師とギリシャ人演出家~」という番組だ。
人間国宝の能楽師,梅若玄祥氏とギリシャを代表する舞台演出家のミハイル・マルマリノス氏による,
ホメロスの叙事詩オデュッセイア第11章の「ネキア」を原作とした能を上演するというプロジェクトを追った
ドキュメンタリーである。
マルマリノス氏曰く,「古代ギリシャの文明は,日本にある」とのこと。
彼は,そこにこのプロジェクトの成功を見出していたようである。
確かにキリスト教化される前のギリシャは,日本の八百万の神々のような多くの神々を信仰していたのだろう。
とはいえ,そんな共通の土台があったとしても,一筋縄ではいかない状況をドキュメンタリーは追っていた。

能の様式を守ろうとする日本側,それを超えた表現を要求するギリシャ側。
能楽プロデューサーの笠井賢一氏が,ぎりぎりのところまで譲歩した脚本を認めないマルマリノス氏。
何度もそんなことを繰り返し,あわやすべてがご破算という時,マルマリノス氏が来日。
両者は,ひざを交えて猛烈に議論する中で,お互いを理解していく。

こんな一大プロジェクトなのに,ほとんど実際に顔を合わせることなく進行していったのは,
居ながらにして情報交換ができる現代だからであろう。
しかし,それでは埋められないところが人間にはあるということだ。
お互いを目の前にして言葉を交わす。その時の言葉の勢い,微妙な表情のゆれ。
そんなものを人は読み取ってしまう。そしてそこから相手の思いをくみとっていく。
新しいものが生まれていく。

日々の中でも,人との直のコミュニケーションに煩わしさを感じ,それを排してしまう時がある。
さらにその煩わしさを,相手の迷惑という言葉で覆い隠してしまうこともあるように思う。
人と向き合うというのは,「私以外私じゃない」わけだから,なかなか難しい。
それでも「人と向き合う」ということを大切にしていきたい。


なお,ひざ詰め激論の結果か,ギリシャの古代劇場エピダヴロスでの公演は大成功だったそうだ。

(15:22)