2021年10月
2021年10月01日
時は西暦1026年,中国・宋の時代,宋の都・開封で行われた高等文官任用試験に落ち,呆然と街を彷徨っていた彼は,中国の西域にある西夏という国から来た女と出会った。そして彼は,彼女が持っていた西夏の通行証に書かれていた西夏文字に強く惹かれ,西夏をめざしてシルクロードへ旅立つ決心をした。
当時,勢力を拡大しつつあった新興国の西夏は,中国と西アジアを結ぶ交通の要衝で黄河の西側の「河西通廊」と呼ばれる地域の制圧をもくろんでいた。彼は,西夏に向かう途中,奇しくも西夏軍に捕えられて漢人部隊に編入され,西夏軍とともに「河西通廊」の西端の都市・敦煌へ向かうことになった。
一方,敦煌を目指して進軍する西夏軍の先鋒を務めていた漢人部隊の部隊長は,残虐非道で漢人を蔑ろにする西夏王に対して密かに激しい敵意をもっており,西夏王に反旗を翻す機会をうかがっていた。
いよいよ敦煌城に攻め入る西夏軍の本軍より先に敦煌城に入った漢人部隊は,敦煌を支配していた曹氏と手を組み西夏本軍を迎え撃つ決意をする。漢人部隊と敦煌軍は,西夏本軍が敦煌城に入ると同時に西夏王を討ち取る策略を立てるが,直前に西夏王に気付かれ失敗してしまう。
その後,西夏本軍の攻撃を受けて大混乱する敦煌城の中を漢人部隊として駆け巡っていた彼は,敦煌太守である曹氏統領の屋敷の中で,曹氏が集めた莫大な財宝とともに夥しい数の古今東西の経典があるのを発見した。そこで彼は,「財宝はそれを所有する権力者のものだから権力者の命とともに滅びても仕方ないが,経典は違う,経典はただそこにあるだけで価値のあるものだ。」という強い思いに心を奪われる。
燃え盛る炎の中,屋敷から経典を持ち出そうとする僧侶たちに向かって,
「この宝は私が何十年もかけて集めた,私だけのものだ。私が滅びるとき,この宝も私とともに灰になるのだ。」と言って狂ったように刀を振り回す曹氏統領に対し,彼は,
「それは違う。この宝はあなただけのものではない。だれのものでもない,かけがえのない宝なのだ。」と言って立ち向かい,最終的に経典を敦煌城から運び出すことに成功する。
時は巡って西暦1900年,敦煌の砂漠にある莫高窟という石窟に,夥しい数の古今東西の経典が埋蔵されているのが発見され,誰が,いつ,なぜ,どのようにしてここに埋蔵したのかがミステリーとなった。
ご存知のように,文化勲章を受章した著名な作家の井上靖氏は,このミステリーに対して『敦煌』という作品で一つの解釈を示した。この作品は緻密な時代考証のもとに書かれたため,世界中で翻訳され,中国では準正史として認められたほどのものなのである。
この『敦煌』は,中国政府の全面協力のもと莫大な製作費をかけて映画化され,1988年に劇場公開された。当時CGなどはなく,シルクロードで長期のロケを敢行し,敦煌城も4億円をかけて復元したそうである。公開当時とても話題になったが,私はまだ観たことがなかった。そして,この夏たまたま観る機会があり,その迫力に圧倒されてしまった。特に,主人公の彼のあの言葉は胸に刺さった。
翻って,現代の私たちが目にするもの,触れられるもの,知識として知っているもので,昔の人がつくり出したものについて考えてみると,それらの中には,もしそれを残そうとする人がいなかったならば,やがて自然に歴史の闇に埋もれてしまい,その存在を知ることができなかったものもあるのではないか。
当たり前のことだが,久しぶりに尊くかけがえのないものを観たような気がした,この夏だった。
(N)
(※参考文献…井上靖著『敦煌』新潮社)
(※参考文献…井上靖著『敦煌』新潮社)
(10:29)