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2022年01月14日

 長野県下の子どもたちの詩を集めた作品集,第68集『信濃子ども詩集』が発行されました。今回も,日々の喜びや悲しみを素直に心からうったえる子どもたちの声が,この詩集から聴こえてきます。
 コロナ禍による休校や,リモートに関する作品を見て思うのは,やはり『信濃子ども詩集』は,子どもたちの目で時代を反映しているものなのだということです。以前このブログに,昭和36年に伊那谷を襲った集中豪雨・通称「三六災害」のことを書いた際,当時発行された本書を見てみたら,災害と向き合ったと思われる子どもの詩がありました。こんなふうに,これから先,第67集や第68集をふと開いたら,「ああ,この時代はコロナ禍で大変だったな。大人だけでなく,子どもたちも大変だったんだな。」と思い返すときがくると思います。
 一方で,時代を経ても変わらないものもあります。私が生まれた年(三十年以上前)に発行された本書と,第68集を読み比べてみました。時代は違えど,どちらも自然への驚嘆,小さな生き物への慈しみ,家族との日々,学校での頑張り,環境問題,戦争や平和への思いが,ありのままの瑞々しい感性で綴られています。
 子どもたちの作品をいつか読み返し,「こんな時代もあった」と感じるのも大事かもしれません。
 
 第68集『しなの子ども詩集 1・2・3年版』
    『信濃子ども詩集 4・5・6年 中学版』
 在庫僅少です。ご注文はしんきょうネットまで。



(12:36)

2021年06月25日

 あるとき,新聞を見て気がつきました。
「三六災害は,今年で60年目なんだ……。」
 
 昭和36年梅雨前線豪雨。
 同年6月23日ごろから7月初頭にかけて伊那谷を襲った集中豪雨は,天竜川を氾濫させ,各所で堤防の決壊、土石流、がけ崩れを引き起こしました。県内の死者行方不明者は136名,浸水家屋1万8千戸以上、土砂崩れは約1万箇所にものぼりました。
 その未曽有の大災害・通称「三六(さぶろく)災害」から,今年で60年目です。
 
 私は伊那谷出身ですが,最近まで三六災害についてはほとんど関心をもっていませんでした。しかし,当時4歳で龍江地区に住んでいた父が,大水で溢れかえる天竜川を見た,と話してくれたことがきっかけで,三六災害についての本を読んだり,当時を知る人々の体験が語られる新聞記事を熟読するようになりました。
 母からは,三六災害のとき,家の西側にそびえている山が崩れた,と聞きました。しかも近所では崩れた土砂に巻き込まれた家もあったという……。そのとき転がってきた大岩も,いまだに近所に残っているというから驚きました。
 私は初めて,実家付近のハザードマップを見てみました。確認すると,家のあたりは土石流の警戒区域となっていました。今も昔も,条件がそろえば危険な場所であることに変わりはないのだ,と驚きました。

 60年前の『信濃子ども詩集』に,三六災害のことを書いた子がいたかもしれないと思い,災害が起こった昭和36年(1961年)の翌年に出た詩集を見てみました。
 そこには,大水が友達の家や田んぼを流してしまったこと,堤防に大きく波が押し寄せるのを見たこと,天竜川の濁流が悪魔のように襲いかかってきたこと——そんな光景と向き合った子どもたちの詩がありました。「三六災害」という言葉は出てこないけれど,きっとその未曽有の災害を経験した子どもたちだと思いました。

「天災は忘れたころにやってくる。」
 誰もが一度は聞いた言葉だと思います。
 前述した私の実家近くの山は,三六災害の直後は崩れた跡が残っていたそうです。今,その跡はまったく見えません。木々の深緑に爪痕が埋もれても,人々の記憶まで埋もれさせてはいけないのだと感じました。
 ——今年の夏,飯田に帰ったら,美術館で行われている三六災害の展示を見に行こう。
 私たちのような直接災害を知らない世代も,これを風化させず,自然をあなどらず,命を守っていかなくてはいけないのだと思います。



(17:25)

2021年01月14日

 本年度も,長野県下の子どもたちの詩を集めた作品集,第67集『信濃子ども詩集』が発行されました。今回は,未曾有のコロナ禍の渦中にある子どもたちの想いがつづられた作品も寄せられています。
 長い休校期間。たくさんの宿題をかかえて家にいたことでしょう。
 遠くにいるお兄さんやお姉さんも帰ってこられなくて,友だちとも遊べなくて。がまんがまんの毎日の中,ふと,家族のよさに気づいたりもする。
 休校明け,久しぶりの学校,勉強,給食,そして久しぶりに会う友達や先生―あたりまえの日々とは何なのか,初めて思いを巡らせてみる。

 これまでの日常が,すっかり変わってしまった今このとき。休校中の家庭で,そして休校明けの学校で,子どもたちはどんなことに気づき,どんなことを思ったのでしょう。
 信濃子ども詩集は,その時代の子どもたちの心を連綿と映し出してきました。今回の詩集を開くと,大人と同じように大変な思いをし,それでも前を向こうとしている子どもたちの姿にきっと出会えます。

 第67集『しなの子ども詩集 1・2・3年版』
    『信濃子ども詩集 4・5・6年 中学版』
 在庫僅少です。ご注文はしんきょうネットまで。



(09:24)

2020年07月22日

 ある児童文学の賞で,審査員の方の一人が,「時代を超える作品を求めている」ということをおっしゃっていました。
 それはどんな作品だろう,と考えてみました。
 時代が変わっても,子どもたちの心を波立たせる作品――。
 子どものころに読んだ作品を思い返すと,楽しい話もありますが,国語の教科書で読んだ『スーホの白い馬』や,『ちいちゃんのかげおくり』,『ごんぎつね』など,悲しいお話が強く印象に残っています。
 『スーホの白い馬』では,少年スーホと強い絆で結ばれていた白い馬が,理不尽な出来事により命をうばわれます。
 『ちいちゃんのかげおくり』では,ちいちゃんが戦争によって命を落とします。
 『ごんぎつね』では,ごんが兵十への罪滅ぼしをしている途中で,また悪さをしにきたのだと思い込んだ兵十に鉄砲で撃たれて死んでしまいます。
 
 けれど,子どものころの自分には悲しいばかりだったこれらの物語は,最後には救いもえがかれているのです。

 死んだ白い馬の骨などから作られた馬頭琴の美しい音色は,聴く人々の心に安らぎをあたえます。
 ちいちゃんが一人でかげおくりをした場所は,やがて公園となり,子どもたちが笑って遊んでいます。
 兵十は最後に,ごんが罪滅ぼしをしていたことを悟るのです。

 これらのお話は,最近の教科書にも載っています。ひとつの考えですが,時代を超えて読み継がれる物語は,悲しみとともに,そのあとにやってくる小さな希望や救いが描かれている作品なのだと思いました。

 コロナ禍や災害など,私たちは日々,自分の意志ではどうにもならない事象にさいなまれて暮らしています。けれど,その先には少しの,もしかしたらたくさんの希望がある。そう信じて,日々の歩みを止めないでいきたいと思います。



(17:30)

2019年05月17日

 戦国時代を舞台にした歴史小説を好きになるなんて,思ってもみないことでした。
 人物関係も地理も事件もよくわからず,途中で挫折するに決まってる。そう決めつけていたので,手に取ることもしませんでした。
 
 心境の変化は昨年の秋ごろ。調べ物をしていて,たまたま戦国時代のお城や合戦,武将について詳しく書かれた本を2,3冊読んだことがきっかけでした。そのあと,ほんの気まぐれで,歴史小説に手を伸ばしてみました。すると
 
「あれ? なんとかわかる……。」
 
 長編で時間はかかりましたが,最後まで挫折することなく,しかも夢中になって読んでしまいました。「歴史小説=私にはムリ」と決めつけるほどハードルが高かったのに,とにかく一冊読み切れたことが,自分にとっては新鮮な驚きでした。
 
 なぜ「ハードル」を越えられたのかと考えると,下地となる情報が少しだけ増えていたからではないかと思います。それまでの私は,教科書に出てくることを知っている程度。けれど,先に戦国時代に関する本を数冊でも読み,武将や合戦やお城,当時の勢力関係などにほんの少しだけ詳しくなったおかげで,読むことに耐えることができたのです。
 
 それからは,自分でも信じられないくらい興味がわいてきました。
「同じ武将でも合戦でも,作家さんの数だけ表現の仕方があるんだなぁ!」
「関ケ原の戦いのシーンって,布陣が絵でわかる資料を手元に置いて読むと,よくわかる!」
「物語の中で××という武将が,あんなふうに考えて失敗して後悔していたな……これはいつの世にもあてはまりそうだから,自分も気をつけよう。」 
 
 ささいなことですが,これらを通し,「自分は〇〇には全く興味がない」と決めつけるのはまだまだ早いと思いました。また,なにか問題にぶつかったとき,それを解決できないのは,もしかしたら下地となる情報や知識が足りていないからではないかと立ち止まって考えてみようと思いました。
 
 さて,10連休となったゴールデンウィークも終わり,いよいよ今年度の業務が本格化していきます。体調とスケジュールの管理に気をつけ,乗り切っていきたいと思います。


(16:39)