Ma.K

2021年12月24日

日本語ワープロソフト「一太郎」の新バージョンが発表されたというニュースがありました。

一太郎とは,40年以上の歴史をもつワープロソフトです。今となっては「Word」が主流となってしまいましたが,根強いファンが多く,特に法曹界や学校などで,使う方が多いと聞きます。

一太郎は,日本語を扱うのに優れているのが特長の一つです。それが端的に表れているのが,縦書き文書を作成する場合の扱いです。

Wordの場合,文書のスクロールは(横書き文書と同じく)上下方向で,ページが縦に並びます。この場合,1ページ目の最終行と,2ページ目の1行目が離れてしまいます。一方で一太郎の場合,縦書きに設定すると,文書のスクロールが左右方向に変わり,ページが横に並びます。

縦書きの文書を作るときは,一太郎のスクロール方向の方が自然でしょう。これは一例ですが,その他の部分でも,至る所で,Wordは縦書きの扱いが劣っていると感じます。


日本語は,もともと縦書き文化です。ひらがなの形を見れば,それは明らかです。縦書きで書かれるかな書道の文字は,川のようになめらかに流れる連綿の美しさが感じられます。たとえ線でつながっていなくとも,書のことばでいうところの「意連」(点画と点画の間にある意識のつながり)がそこにはあります。

これが横書きになると,一文字一文字が独立して表されるようになります。すると,文字の美しさがほんの少しだけ,損なわれてしまうような気がします。縦書きにあった川のような流れが分断されてしまうからです。

言うまでもなく,Wordは,グローバル展開されるソフトです。WordにはWordのよさがありますが,やはり日本の文化を理解し,縦書きにもこだわりをもつ日本の一太郎を,個人的には応援したいなと思っています。


ところで最近は,縦書きの日本語に触れる機会がだいぶ少なくなってしまいました。

今となっては,新聞,手紙,書籍くらいのものでしょうか。新聞や手紙は,少なくとも若い世代にとっては身近なものではなくなってきましたし,書籍でさえ,横書きのものも増えてきました。

そしてこのブログも横書きです。というより,PCやスマホのディスプレイ越しに見るものは,ほぼ全てが横書きです。PCやスマホは,英語圏から広まっていったものですから,英語圏発祥の文化が色濃く反映され,横書きが中心となってしまうのは致し方ないでしょう。

グローバル化が進む現代社会では,もはや横書きの方が合理的です。少しさみしいですが,日本の縦書き文化は,時が流れるにつれて廃れていってしまうのかもしれません。

ただ,非効率で合理的ではなくても,残り続けているものはたくさんあります。今は改めてレコードのよさが見直され,昭和時代の歌謡曲が逆に新しいとして,若い世代に支持される時代です。個人的には,縦書き文化が薄れていくことはあっても,縦書きを愛する人はこれからも存在し続け,完全に消えることはないだろうと思っています。

どちらにせよ,文化は変化していくものです。歌謡曲でいうなら,「川の流れのように」美しい縦書き文化の成り行きを,「時の流れに身をまかせ」,これからも見守り続けたいです。


さて,弊社では,小学校向けに連絡帳を発行しています。

低学年向けのものは,横書きに加えて,縦書きのものもラインナップしています。学校で縦書きの黒板をお使いの場合に,便利にお使いいただけます。

中学年・高学年向けの日記つき連絡帳は,令和2年度版より日記部分の罫線を見直し,原稿用紙のように縦書きでも記入することが可能となりました。

それ以外にも,使用時期に応じてページ数が異なるものをご用意したり,発達段階に応じて記入欄の幅や使用漢字を変えたりなどして,様々な種類から最適なものをお選びいただけるようになっています。

信教出版の連絡帳を,ぜひご採用ください。


(09:09)

2021年06月04日

「本棚を見れば,その人がわかる」ということばがあります。どんな本を読んでいるのかを見ることで,その人の興味・関心や好み,どんなことを大切にしているのか,などを読み取ることができるというわけです。

しかし現代なら,スマホやタブレットのデータを見ることで,本棚を見るよりも何倍も詳しく,その人のことがわかってしまいます。例えば,インターネットの閲覧履歴を見れば,その人がいつどこで何をして,何を買ったか,どんなことに悩んでいるか,どんな趣味があるのか,何を知りたいのか……ということが,かなりの精度でわかります。

今や,日々いろいろなところで私たちのデータが蓄積されています。こうしたデータは,ネット広告や,ショッピングサイトのおすすめ商品の提示といった仕組みなどに活用されています。例えば,「この人は高級化粧品に興味がありそうだな」と判断されれば,いろいろなところで高級化粧品がおすすめされるようになる,というわけです。

デジタル社会の昨今では,データは新しい天然資源なのだ,と言われることもあります。
そのくらい,私たちのデータというのは,多くの可能性を秘めている貴重な存在なのです。

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教育の世界でも,ICT機器が積極的に導入され,先生はもちろん,児童生徒にも一人一台のタブレットPCが導入されつつあります。それに伴い,教育現場でも様々なデータが蓄積されるようになっています。

そうなれば,当然そうしたデータを活用していこう,という動きが出てきます。

令和3年3月には,「教育データの利活用に関する有識者会議の論点整理(中間まとめ)」が出されました。そこには,児童生徒の学習面や生活・健康面のデータや,教師の指導・支援のデータを取ることで,児童生徒の状況の変化を捉えてつまずきを早期に発見する,授業改善や生活指導に役立てる,保護者への情報提供や学校経営の充実化を図る,などの活用例が示されています。

少し抽象的でわかりにくいですが,データというのは,教師が子どもを見るための新しい「目」になり得るものである,と私は捉えました。

先生方は,もちろん自分が担当する児童生徒のことをよく見ていらっしゃるでしょうし,それぞれの学習状況や特性なども把握されていると思います。
それに加えて,一人一台のタブレットと学習履歴などのデータがあれば,より多くのことがわかるようになります。紙のノートでは,先生がクラス全員のノートを同時に見ることはできませんが,タブレットであれば,全員のノートを同時に見ることはもちろん,ログを取ることで全員の思考のプロセスを追うこともできます。従来の授業ではなかなか見えなかった児童生徒の考えの変化や,学習のつまずきなどにも気づけるようになるかもしれません。

ある先生から,「いい教師は『目』が違う」と教えてもらったことがあります。

子どもが発言しているとき,あえて発言していない子どもにも目を向ける。目立つ子どもだけを見るのではなく,目立たない子どもにも目を向ける。普段の生活の中に見える,行動や表情,話すことばの変化に目を向ける。

こうした先生の「目」に加えて,データによる教師の第三の「目」が加わることで,より視野を広く,子どもをひとりひとりしっかり見ることができるようになります。データによって,さらに児童生徒に対して個別化された指導ができるようになれば,児童生徒にとっても,学校現場にとっても,夢がある話ではないでしょうか。


こうしたデータの利活用は,よい面もある一方で,プライバシー侵害や,本人が望まない形でのデータ利用が問題になることがあります。

例えば,大手就活サイト「リクナビ」の事例があります。就活学生のネット閲覧履歴などをもとに,応募学生が内定を辞退する可能性を予測し,そのデータを採用側の企業に販売していたという問題です。

選考を受ける本人からすれば,自分の知らない間に恐ろしいデータが提供されていたことになります。もし,採用担当者が,目の前の学生に対して,「この人は,内定を辞退するかもしれない」とデータで示されたら,どうなるでしょう。合否に影響した例はなかったという調査結果が出ていますが,採用担当者の心情に本当に影響がなかったのかどうか,それを証明することはできません。

結局このサービスは,個人情報保護委員会と厚生労働省から行政指導を受けるなど大きな批判を受け,サービスの停止に追い込まれました。

こうしたことが,教育界に起きないようにしなければなりません。

先に述べたように,これから積極的に蓄積されていくであろう教育にまつわるデータは,先生方の第三の「目」となり得ます。確かにそこには,大きな可能性があります。

しかし,やはり最後は,先生自身の「目」が優先されるべきだと思うのです。データによって,その目に色眼鏡をかけられるようなことは,あってはなりません。


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さて,弊社も一人一台のタブレットで使える,学習者用デジタル教科書を発行しています。

教育データの利活用という取り組みにも,いずれは目を向けていくことになるのかもしれませんが,そうした先進的な動向だけにとらわれず,長い目で本質を見極めていきたいと思います。地域に根差した出版社として,まずは先生方の足元の現場の実践をもとに,より使いやすいデジタル教科書を令和6年度に発行できるよう,制作を進めてまいります。

とはいえ,日進月歩のデジタル社会を相手に,悠長なことは言っていられません。GIGAスクール構想や学習者用デジタル教科書実証事業などによる学校現場の変革によって,教育のICT化の取り組みが大きく注目されるようになっています。

「人目を奪う」変革期。私たちにとって,「目が離せない」状況が続きそうです。



(20:09)

2020年07月10日

信濃教育会編集,信州教育出版社発行の『理科の教室』が,まもなく発刊の運びとなります。本誌は,長野県の小学校で行われた理科に関する実践事例が紹介されている冊子で,毎年長野県内の小中学校にお送りしています。

今回の第96号は,先生方の理科に関する実践紹介に加え,弊社発行の理科教科書の監修を務めてくださっている,信州大学名誉教授 村松久和先生からも,原稿を寄せていただきました。「どのような理科教員を育てるか」と題して,信州大学教育学部での理科教員養成の取り組みについて紹介されており,卒業生には「理科の伝道師」になることを期待するとしています。


「理科の伝道師」というユニークなことばが印象に残ります。特に小学校段階の理科の学習を考えてみると,高度な専門的知識というよりは,むしろ理科の観察・実験の楽しさを伝え,子どもたちの理科への興味・関心を引き出して裾野を広げていく,ということが先生方に求められるのではないかと思います。

リチウムイオン電池に関する研究でノーベル賞を受賞した旭化成名誉フェローの吉野彰さんは,小学校4年生のときに読んだ本がきっかけで理科を好きになり,研究者となったことが話題となりました。そしてその本を薦めたのは,大学で化学を学んだ担任の先生だったそうです。

その先生はおそらく自分でも化学の実験の楽しさを身をもって体験しており,吉野さんの特性を見抜いてそれに合致する本を紹介したのだと思います。吉野さんはそれによって理科の楽しさに目覚めたわけですから,まさに吉野さんにとって,その先生は最初の「理科の伝道師」であったのだといえます。時に,一人の先生のことばが,児童・生徒の人生を変えるきっかけになることもあります。先生方の役割は,とても大きいのだな,と思いました。


その吉野さんが読んだ本として一躍有名となったのが,マイケル・ファラデーの『ロウソクの科学』です。私もせっかくなのでざっと読んでみましたが,その原著は150年以上前に出版された古典であるため,難解でとっつきにくい部分がそれなりにありました。正直なところ,「これを小学4年のときに読んでしまうあたり,やっぱりノーベル賞受賞者の頭の構造は違うな。」と思ったのが率直な感想ではあります。

それでも,1本のロウソクを題材にしながら,熱による状態変化や上昇気流,ロウソクの芯の毛細管現象や燃焼による化学反応などにつなげていき,私たちにも身近な存在であるロウソクが燃え続ける不思議を掘り下げていくという構成は,さすが古典的名著だなと思わせる内容でした。


理科では,「なぜ」「ふしぎ」という身近な疑問から学習がはじまります。自身の経験や足元の自然とのふれあいを入り口にして,その根底にある科学の本質へと考えを深めていく試みは,長野県の理科の先生方も,日々の授業の中で実践しておられることでしょう。

『理科の教室』は,そうした先生方の足元の実践が紹介されています。4年の「ものの温度と体積」,5年の「もののとけ方」のほか,新しい学習内容である3年の「音のせいしつ」や,6年のプログラミング学習の実践も紹介されています。こうした実践報告を通して,理科に興味をもってくれる長野県の子どもたちが一人でも増えることを願っています。

私たち出版社は,「理科の伝道師」となることはできません。しかし,先生方にお役立ていただける教材や書籍の発行を通して,微力ながらも1本のロウソクのように,長野県の子どもたちの心に「火を灯す」ためのお手伝いができればと思っています。


今年は『理科の教室』に加え,『ふるさとの大地増刊号』も合わせて各学校にお届けします。
お手元に届きましたら,手に取ってお読みください。



(10:59)

2019年08月23日

最近,毎週金曜日に放映されている『凪のお暇(おいとま)』というドラマを見ています。主人公は,「わかるー」が口癖の,常に周囲に合わせて空気を読みまくる28歳OL,大島凪。極端に空気を読みすぎて過呼吸で倒れてしまい,それをきっかけに自分を見つめ直し,すべてを捨てて新しい生活を始める,という物語です。

第1話での主人公の空気の読みっぷりは,かなり過剰でした。それでも,会社で空気を読んで上司や同僚に合わせてしまったり,自分だけご飯に誘われていないのではと不安に感じたりするシーンや,「いいね!」ボタンを押さなければならないSNS特有の窮屈さなどに対しては,主人公の凪のように「わかるー」と同意した視聴者も多かったのではないでしょうか。こうしたモヤモヤな現状に対する,「なんだかなぁ……」という悲哀たっぷりな主人公のつぶやきが,なんとも印象的な第1話でした。

現在は主人公とお隣さん,元カレとその同僚の4人の恋が絡む青春感たっぷりのラブコメドラマとなっていますが,それぞれの回で「空気」を軸に進んでいくストーリーが面白いです。興味がある方はぜひご覧いただければと思います。

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話は変わって,『大辞林』や『新明解国語辞典』でおなじみの三省堂では,毎年「今年の新語」を発表しています。最新の2018年の大賞は「ばえる」(写真がひときわ美しく目立って見えるさま)という順当な結果でしたが,個人的に興味深いと思ったのが,2位と3位にランクインしたことばです。

3位だったのは「わかりみ」。「わかる」とほぼ同じニュアンスをもつ,ネット発の用語です。
これに限らずネット上には,簡単に同意や共感を示せることばがたくさん登場してきました。例えば,「それな」,「あーね」,「たしかし」,「ほんこれ」,「はげどう」など。コミュニケーションを手っ取り早く円滑に進めるためには,同意や共感のことばがたくさん必要だったのかもしれません。

そして2位だったのは「モヤる」。「モヤモヤ」を「~る」という形で動詞化した若者ことばですね。先ほどのドラマの主人公の「なんだかなぁ……」というモヤモヤな心境は,まさに「モヤる」状態だといえます。
この言葉はSNS上でもよく見られます。そもそも,同意や共感を表すネット用語や若者ことばはたくさんあるのに,相手への不同意を角が立たないようにやわらかく表現することばは多くありません。反対の意を表明できず,かといってそのモヤモヤを心に押しとどめておくこともできない,そんな心境から「モヤる」ということばがSNS等で多く使われるようになったのかもしれません。3位の「わかりみ」をおさえ,2位に「モヤる」がランクインするあたりに,空気を読むことに疲れた現代ならではのモヤモヤ感があるような気がします。


私も社会人になってから,いろいろ「モヤる」経験をしてきました。

最近だと,例えば仕事において,自分とは異なる立場の様々な方から,受け入れがたい要求(要はムチャぶり)をされる場面が何度かありました。
ドラマのように受け入れられないことはキッパリと断るとか,急にそっけなく塩対応になるとか,顔面から威圧を与えておくとか,不同意を示す態度は山ほどありますが,さすがにそれは空気をぶち壊すな……と考え,結局何も言わずに「モヤる」ことが何度かありました。

しかし,一見ムチャぶりであっても,後で冷静になって相手の立場で考えてみると,それはそれでしっかりと理解できる要求の理由があることに気づきます。

なぜ「モヤる」のかといえば,相手の考えを理解できないからです。それなりに相手の立場に立って考えて,共感できる部分が見つかれば,モヤモヤは少し軽減されるのではないでしょうか。

先述した三省堂「今年の新語」の2017年大賞に選ばれたことばは,「忖度(そんたく)」でした。今となってはネガティブなことばですが,本来の意味は,「他人の気持ちをおしはかること」です。まさに相手の立場に立って考えるという,日本人らしい気配りを示すことばといえます。

何かと「モヤる」ことが多い時代に必要なのは,この「忖度」かもしれません。

ドラマ『凪のお暇』の主人公は,空気を読むことに疲れ,すべてを捨てて新しい生活を送ることになりましたが,私たちにとってそれは容易ではありません。

空気を読むことからなかなかお暇できない私たちにとっては,仮に意に沿わない結果となろうとも,せめて本来の意味での忖度によって相手の気持ちをおしはかり,「わかりみ」を感じる部分を少しでも増やしていくことが大切なのではないでしょうか。

それこそが,「モヤる」気持ちを軽減させる処世術であり,事態の打開に向けた第一歩へとつながっていくのだと思います。

(17:40)

2019年05月09日

今年も,『理科の教室』の発行時期となりました。『理科の教室』は,長野県の小学校で行われた理科に関する実践事例が紹介されている冊子で,毎年長野県内の小中学校にお送りしています。

今回の第95号は,先生方の理科に関する実践に加え,小学校で初めてメンデルの法則を取り扱った教材,信濃教育会編『高等小学理科筆記帳』に携わった長谷川五作先生に関する記事が,雑誌『信濃教育』1584号から転載されています。

メンデルの法則といえば,中学校や高校の理科の時間に習った,エンドウマメを使って遺伝の法則を発見した実験が有名ですね。ここから,遺伝子に関する研究が大きく発展することになりました。

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元号が令和に変わって以降,さまざまな平成を振り返る企画がテレビ等で取り上げられていましたが,平成は,私たちにとって遺伝子が身近な存在になった時代でもあると思います。

ヒトのDNA配列を解析するヒトゲノム計画は,平成2年から始まり,同15年に完了しました。その解析費用は,3000億円以上かかったと言われているそうです。その後,アメリカの企業が従来手法よりも優れた解析装置である次世代シーケンサーを開発して以降,飛躍的に短時間・低コストでの解析が可能となっています。

解析方法の改善で,平成の終盤には,日本でも1万円程度からの価格で自分の遺伝子を解析してくれるサービスが登場しました。それを使えば,例えば「母方の祖父がハゲているから,自分もハゲる可能性が高いかも?」といった疑問が,遺伝子検査という根拠をもって,はっきりすることになります。

現在の遺伝子解析では,主に発がんリスクの発見やオーダーメイド医療への活用など,医療分野での活用と研究がメインです。しかし令和時代には,AIの発達とともに遺伝子解析もより高度になり,今は想像できないさまざまなことがわかるようになるでしょう。自分でも気付いていなかった新たな才能が明らかになる,なんてこともあるかもしれません。


そうした無限の可能性がある一方で,遺伝子検査結果を広告宣伝や生命保険加入審査に利用する動きがあるなど,また別の問題も引き起こし始めています。

例えば,現在は入学・入社時に,履歴書に加えて健康診断結果の提出を求められることがあります。その延長で,遺伝情報結果の提出も求められ,自分の遺伝的能力の不足を理由に入学・入社を断られる……。そんな未来が来るかもしれません。少しゾッとしますね。


冒頭で紹介した『理科の教室』の記事の最後には,『長谷川五作先生著作選集』の教育論の一部が引用されています。
良い遺伝的能力を享けぬが最後,どうすることも出来ぬように悲観する者もある様であるが,之は誠につまらない考えである。吾々の能力は遺伝で決まって限られて居るというべきだが,併し発達し得るべき可能の範囲が極めて広いことも考えなければならぬなからである。

長谷川先生にとって,遺伝というのは生涯の研究テーマのひとつとするほど,魅力的なものであったと思います。それでも,生まれもった遺伝的能力ではなく,その後の努力による発達の大きな可能性を説いているところに,長谷川先生の教育者としての人柄が表れているように思います。

科学には倫理が必要不可欠です。昨年,遺伝子操作による双子の子どもを世界で初めて誕生させたとして,その研究者が批判された事件もありました。遺伝子研究において科学が「禁じ手」を使うことがないように,私たちも関心をもって見守る必要があると思いました。

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さて,昭和37年に第1号を発行した理科の教室は,平成を経て,ついに,新時代である令和の発行となります。これから,教育に関する様々なことが大きく変わる時代に突入します。きっと,タブレットやプログラミング教材を用いた新しい理科の実践事例も出てくることでしょう。

しかし,脈々と受け継がれてきた信州の理科教育に対する考え方や,「長野県の子どもたちのために」という思いは,これからも変わらないはずです。これからの令和時代も,引き続き信濃教育会の編集のもと『理科の教室』を発行し続け,信州教育の「DNA」を受け継いでいく手助けができればと思います。

『理科の教室』95号は,まもなく各学校にお届けします。ぜひ,手に取ってお読みください。



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