2020年09月03日

私は,商店街の生まれだ。子どものころ,街は大変活気があり,商店街の役員をしていた父は,しょっちゅう会合に出ていて夜はたいてい留守だったようだ。もう覚えていないが,「うちは母子家庭みたいだ。」と小学生の私がよく言っていたと母がたまに言う。商店街は,お祭りなど様々な行事を盛り上げ,通りの街灯を新調したり,車社会に対応しようと広い駐車場を作ったり,とにかく活気があった。朝夕,家の前を大勢の通勤通学の人が通り,買い物をする人が通り,お祭りや売り出しには周辺から多くの人々が訪れた。

 そんな街も次第に活気を失い,今の市長さんが都会から帰ってきたときは,お母様に昼間は猫しか歩いていない,と言われたと新聞にあった。実際,人が減って1軒,2軒とお店がしまい,街はどんどん寂しくなっていったけれど,商店街の人や町の人たちは頑張っていたと思う。規模を縮小してもお祭りを盛り上げ,機会を見つけては活気を呼び戻そうとしていたと思う。

 そこにこのコロナ禍である。

 商店街で生まれ,商店街が大好きな私は,いつかコロナ禍が落ち着いたとき,街がなくなっていたらと思うと何とも言いようのない気持ちになり,今さらではあるけれど,できるだけ通販などに頼らず街のお店を使おうと努めている。(たぶん焼け石に水だけど。)けれどもこの状態が思いのほか長引き,新しい秩序ができ上り,買い物は通販しか知らない世代がほとんどの時代が来るかもしれない。

 学校はどうだろう。日本の教育は,先生と子どもたち,また,子ども同士が直接に触れあうことを前提とした対面教育をベースにしてきたというが,コロナ禍で休校もやむを得ない状況の中,改めて「GIGAスクール構想」の実施が急がれているようだ。しかし,報道などを見ると,効果を確信しているというより,まずは環境を整え,走りながら考えるという感じがする。

 いずれにしても,コロナというこの厄災は,長い間かかって人々が築いてきたものの形を変える大きなきっかけなのかもしれない。私たちの仕事も然り。何もわからない。ただ,臨機応変に対応していくしかない。何ができるか。これからである。


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