2020年01月24日

 甲斐の虎・武田信玄の五男,仁科盛信をご存じでしょうか。
 
 天正10年。織田信長による武田討滅戦は大詰めを迎えていました。
 武田は重臣たちが次々に織田方へ寝返り,諸城も降伏。当主・武田勝頼の弟である盛信が守る高遠城も,敵軍の大将・織田信忠から降伏を呼びかけられます。しかし,盛信は徹底抗戦を貫きました。押し寄せる数万の織田軍を相手に,三千の城兵を率いて戦い,武田氏最後の武将として二十六歳の生涯を終えます。
 
 盛信は,長野県歌『信濃の国』の5番にも,「仁科の五郎信盛も」と歌われて登場します。(「盛信」か「信盛」かは史料によって異同があり,本書でも触れています。)
 彼は一体,どんな武将だったのでしょう。兄の武田勝頼は,最初は諏訪氏を継ぎ,盛信は仁科氏を継ぎました。それぞれが,信玄に滅ぼされた名家を継いでいたのです。しかし,最終的には勝頼が武田家当主となり,盛信は仁科を名乗りながらも,高遠城で武田の最後を象徴する激戦を繰り広げ、武田武士の武勇を見せつけて散っていきます。二人のたどった運命とはどんなものだったのでしょう。そして盛信が継いだ仁科の家とは。武田と織田・徳川が繰り広げた高天神城の攻防とは。滅亡直前に韮崎に新府城を築いた勝頼の思惑とは。高遠城の戦いの様相とは―。
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