2018年03月

2018年03月30日

先日,息子の幼稚園の卒業式がありました。
親バカとは思いましたが,せっかくの一大イベントでしたので,
私もスーツにネクタイで式に参加しました。
幼稚園の卒業式とはいえ,内容は思いのほか凝っていて,
見ている親にとってもなかなか見ごたえのあるものでした。
例えば,卒業証書をいただくときは,一人ずつ壇上に呼ばれ,
園長先生から証書を渡してもらったあとには,客席に向かってガッツポーズをしたり,
卒業生の歌にしても,歌の途中から呼びかけに変化してまた歌に戻るなど,
きっとたくさん練習したんだろうなあと想像しました。
私の子どもも,なんとか練習の成果を発揮して,一連の内容をとどこおりなくこなすことができ,
親としてもほっと胸をなでおろしました。

仕事柄,と言うと大げさですが,子どもたちを見るとそこはかとなく緊張感というか,
使命感のようなものを感じてしまいます。
来年度から小学校へ入学する大勢の子どもたちを見て,
「この子たちも,もうじきうちの教材や教科書を使って勉強するんだ。
 この子たちのためにも,より一層しっかりとした仕事をしなくては。」
と思いを新たにしました。

さて,30年度は小学校では新学習指導要領への移行1年目となりますが,
弊社発行の各種教材も,移行内容にきちんと対応しておりますので安心してお使いいただけます。
30年度は,教科としての道徳が始まったり,英語活動が3年からに前倒しされ,
5,6年からは教科になるなど,現場の先生方は今までになく大変な状況かと思います。
私たち信教出版は,30年度も先生方を全力でサポートしていきます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

TY

(17:30)

2018年03月16日

いよいよ春らしい日が続くようになりました。
つい暖かな日差しに誘われて,昼休みに公園でお昼を食べることがあります。
先日,お昼に公園でパンを食べていると,ハトが集まってきました。
パンを口にしながら近寄ってくるハトに「お前らには絶対にやらねーぞ!」と心の中でつぶやくと,
ハトは「ハトが豆鉄砲を食らったような」顔をしてこちらを一瞬見たあと,
ほかの人の方へ飛んでいってしまいました。

私はハトについてはちょっと嫌な思い出があります。
前に住んでいたアパートで,私の部屋は2階だったのですが,
真下に住む人が庭でハトに餌をやるようになったため,毎日ハトがアパートに来るようになり,
うちのベランダの柵に平気で止まったりフンをしたりするようになってしまいました。
想像してみてください! 自分の家のベランダに押し寄せてくるハトの群れやハトのフンを!
もちろんその後すぐにそのアパートから引っ越したのですが・・・。

それ以来,近寄ってくるハトに対してあまりいい印象をもたなくなりました。
これがいわゆるトラウマというものでしょうか。
いくら平和の象徴と言っても,テレビで見ているだけならいいのですが,
近寄って来られてはたまりません。

ハトの立場にすれば,生きていくために必死なのですから,
食べ物が得られそうなところに行くのは当然のことでしょう。
そう考えれば仕方のないことです
要はうまく付き合っていくということでしょうか。

ところで,小学校理科の教科書には,環境について学習する単元があり,
空気や水などを中心に,私たちを取り巻く環境について学習するようになっています。
もちろん私たちを取り巻く環境と言えば,空気や水だけでなく,動物や植物,
そのほか人間が生み出したものもすべて環境の一部になります。

環境の学習では,私たち人間がどのように環境と関わっているのかを見直し,問題点を見つけ,
どのように解決していけばよいかを考えることになります。
いまの環境はこうだけれど,将来の環境はどう変わっていくかわかりません。
環境がどのように変わっても,まわりの環境とうまく付き合っていけるようにその方法を学んでいく
ということだと思います。

環境とうまく付き合っていくためには,まず環境を知らなければなりません。
私もハトのことをもっとよく知れば,ハトに対するトラウマがなくなり
うまく付き合っていけるようになるかもしれないと思いました。

(N)

(12:58)

2018年03月05日

仕事をしている中で,
もうスケジュールも進行し,そろそろ後半という段になって,
不意に手が止まってしまうことがある。
ナンカチガウ,ナンダロウ,イマサラドウスルノ,…そんな感じ。
そんなとき,正直に自分の気持ちをみつめてみると,
たいてい,最初から違和感があったということにいきつく。

はっきりとわからないが,なにかひっかかる。どうも好ましくない。
気のせいかもしれない,私だけの感覚かもしれない。
すっきりしない気持ちながらもスケジュールが頭をよぎり,
なんとなく折り合いをつけてしまう。
でも,「気にかかること」は,やっぱり「気にかかること」なのだ。

1人で担当している仕事は,イマサラと思いながらも
スケジュールと相談しながらもう一度確認してみる。
でも,大勢がかかわってきた仕事の場合は,なかなかそうもいかない。
いろいろな考え方の人がいる中で進めてきたことだから,
さらにイマサラ感を強く感じ,言い出すにも勇気がいる。
それでもやっぱり確認しないわけにはいかない。

手を抜いているわけではないのだが,優先順位をつけて仕事を進める中で,
「気にかかること」はなんとなく後回しになってしまう。
けれど「気にかかること」は,完成が近づいて形が整ってくるほどに存在感を増してくるのだ。

もちろん,途中で消えていってしまうこともある。
でも,もしも仕事の最後にきて「気にかかること」が解消できなかったときは,
イマサラと思わずに,できるだけのことをしなければならないと思う。


…今,まさにその渦中…。できる限りのことを,そう思っている。

(17:23)