2017年02月

2017年02月24日

幼稚園に通う5歳の息子がいます。
彼は今,年中なのですが,今年度から自分から希望して,
幼稚園内のピアノ教室に通っています。
つい先日,その教室の発表会がありました。

日ごろから,子どもが家でピアノの練習をするときは,
できるだけ見てあげるようにはしているのですが,
ひと月ほど前からは,私の方が本人よりも発表会を意識してしまい,
子どもにうるさがられるほど,指導(?)に熱が入ってしまいました。

できるかぎりの準備をして迎えた当日,
およそ30人の幼稚園児が発表にのぞみましたが,
皆,楽譜も見ないで淡々と演奏をこなしていく姿に感心しました。
ときどき,演奏がストップしてしまう子や,つかえてしまう子もいましたが,
まだ年端もいかない幼稚園児が,聴衆である保護者を前に
ステージの上で真剣にピアノに向かう姿は,それだけでも感動を呼ぶに十分でした。
演奏の前後のおじぎも上手にでき,聴衆は惜しみない拍手を送っていました。
息子も,なんとかふだんどおりの演奏をすることができ,
親としてはほっと胸をなでおろした次第です。

息子が通う幼稚園の園長先生は,かつて県内の小中学校で音楽の先生をされていたそうで,
日ごろからピアノ教室のほかにも,音楽教育に力を入れていらっしゃいます。
発表会の案内状に,園長先生の挨拶が載っていたのですが,
「子どもの複雑で豊かな感情を大切にしながら,ピアノの音にその子らしさを
いっぱい入れてほしい」という一文に感動しました。
上手に演奏することだけが目標ではなく,個性を大事にしてほしいという意味に
受け取りました。

音楽などの芸術教科は,答えが一つに決まっておらず,
自分の感じたことを表現できるところがよいところだと思います。
しかも,その芸術の中でどんなふうに個性を主張するかは自由ですし,
上手い・下手はあっても自分だけの世界をつくることができるのも魅力のひとつです。
「読み書き,そろばん」ももちろん大切ですが,
音楽,美術などの芸術教科も大切にしたいと思います。


TY

(11:58)

2017年02月13日

ネットのニュースによると,フェイク・ニュースなるものが流行っている(いた?)ようです。
アメリカの大統領選挙では,フェイク(嘘)のニュースによって民主党の候補が敗れ,
あの大統領が誕生したのだとも言われています。
読んでおもしろいだけの他愛もないニュースならいいのですが,
大統領選挙ともなれば国の行く末を左右しかねない危険があります。

興味がわいて,「フェイク・ニュースの作り手の意図はどこにあるのか。」
という解説を読みましたが,その多くは金儲けが目的だそうです。
一風変わったニュースや刺激的なニュースを見るためにそのサイトにアクセスする人が多くなるほど,
そのサイトの広告を通じて収入が増える仕組みとのこと。
そもそも,このようなフェイク・ニュースが急激に増えたのはなぜか。
その温床となっていたのがヨーロッパの小さな国の小さな町の若者だったとか。
栄えていた工業が衰退し,不況にあえいでいる町で,若者たちが
小遣い稼ぎと暇つぶしのために始めたのが世界中に広まったそうです。

ところで,今月4日(土曜日)にしんきょうネットの販売研修会があり,
私ども信州教育出版社はメーカーとして教材のPRをさせていただきました。
今年は改訂年度ではなかったのですが,わが社の基幹商品について説明しました。
私は「理科学習帳」について,中身を見てもらいながら主な特長を説明すると同時に,
「理科テスト」もあわせて紹介しました。

これら2つの教材に共通しているのは,文章で説明する問題を全単元に入れることにより,
それらの言語活動を通じて思考力や表現力をつけることを目指したことです。
よく「記述式の問題があるので難しい。」というご意見をいただきますが,
2020年から実施される「大学入学希望者学力評価テスト」(仮称)では,
思考力を重視し,国語と数学の一部で記述式の問題が導入されますし,
最近の高校入試でも記述式の問題が増えています。
自分の考えを自分の言葉で表現するということが入試でも求められつつあるのです。

もちろん,入試がそうだからその対策として記述式の問題を入れたということだけではなく,
子ども時代に,考えながら書き,書きながら考える習慣を身につけておけば,
将来,社会を支える大人になったときにも,豊かな発想で人の役に立つ創造的な仕事を
することができる一因になるのではないかと思うのです。
そうすれば,苦境に立たされた時も,
フェイク・ニュースで暇つぶしをするような若者にはならないのではないか。
そのために,多少難しくても,考えたり書いたりする機会にたくさん触れてほしいと思うのです。
この気持ちは決してフェイクではありません。
(N)

(12:46)

2017年02月04日

ここのところの大雪で,道路の状況が悪い日が続いていた。
左右に寄せられた雪で歩行者の歩く余地がなくなった道や,
車の轍が3本で,デコデコと走りにくい道路。
そのうえ,朝はツルツルに凍っていたりして,
歩くにせよ,車に乗るにせよ,気を使う日が続いていた。

一昨日の朝,でこぼこに凍った道を転ばないようにと歩いていると,
向こうから自転車を引いてくる高校生とおぼしき少年。
こんな日によくだなあ,と思い,立ち止まると
足早にこちら側に走ってきてすれ違いざま,「ありがとうございます」と一言。
(えっ) まさかそんな言葉が返ってくるとは思っていなかった。
私は,私の気遣いを受け取ってもらえたことがうれしくて,
なんていい少年なんだと,すがすがしい気分になった。

駅につくと,いつもはたぶん電車を使わない人で券売機が混んでいる。
電車が来るまでにあと4分。何とか間に合いそうだと思っていると,
わたしの前の若い女の子,券売機の前でバックを開け財布を探している模様。
(ちょっと,勘弁してよ)と思いつつ待っていると,
切符を買ったあと,またバックの中をいじっている。
…とうとう言ってしまった。「時間がないので(切符を買って)いいですか」
女の子は,バックをずらして券売機の前を開けてくれた。
…とても嫌な気分だった。言ってしまった自分にも,無神経な女の子にも…。

常々,自分の気持ちを人に伝えるのも,相手の気持ちをくみ取るのも,
本当にむずかしいと思っている。
自分の常識が,必ずしも全員の常識ではないこと。
そして,自分の正義が正しいとは限らないこと。
だから,その時々の状況や相手のことを考えて行動したいと思うのだが,
虚勢を張って知ったかぶりをしてみたり,切れてみたり。なかなかうまくいかない。


今日は,信教出版の販社であるしんきょうネットのみなさんに
自社の新学期の教材をPRする研修会であった。
担当の教材について,それぞれ一生懸命伝えたつもりではあるが,
はたして役に立つ情報を発信できただろうか。
疑問点や知りたいことに答えることができていただろうか。
相手にわかりやすい言葉で伝えられたであろうか。

ホンの少しの心遣いで状況が変わることがある。
人は一人で生きているわけではないから,自分のことだけではなく,
受け取る側のことを常に考えて行動していくことが大切なのだと思う。

誰かに思いを伝えることは,本当にむずかしい。

(15:27)