2016年11月
2016年11月29日
家の東南の角に寒椿が一本植えてある。
家を建てたとき,イチイやドウダンツツジなど何本か植栽をいただき,
無計画にあちこちに植えてしまった一本だ。
キッチンの出窓から何となく見えるのだが,大した手入れもされないのに
毎年花を咲かせているのだけは,わかっていた。
東南の角は,隣家との境になっていて陽当たりも悪い。
気がつけばお日様が当たる隙間に向けて,けなげに枝を伸ばしている。
夏の初めに出窓からのぞくと,何やら枝に白い塊がみえる。
何だろうと外に出てみると,!!! カイガラムシの塊ではないか!
枝のあちこち,葉っぱのあちこちに白い点々がたくさんついている。
小さくてたくさんいるのが大嫌いな私は,身の毛がよだつような気がした。
けれどもそのとき,毎年,人知れず花を咲かせている寒椿を助けてやりたいと思ってしまった。
歯ブラシと剪定ばさみを用意して, 念入りに,枝の一本一本,葉っぱの表も裏も,
目視する限り,もういないと思えるまで手を入れてみた。
今,11月も終わりに近づき,寒椿はたくさんつぼみをつけている。
何だか,葉っぱもつやつやして,枝ぶりも元気がいいような気がする。
寒椿は,自分だけでも枝を伸ばし,花を咲かせていた。
でも,ひと手間手をかけたことが,少しは成長の助けになったのではないかと感じた。
普段から庭の手入れをしっかりやっている方には,笑ってしまうようなことかもしれない。
でも,無精だった私は,本当によかったと思った。これからは,ちゃんとやろうと思った。
思わず手を出したくなるときがある。でも,それが相手にとってどうなのか,
的確なことなのか,余計なお世話なのか,古い価値観ではないのかといろいろ悩ましい。
それでも,きちんと手をかけていくことの大切さを,
20年近くも放っておかれた寒椿が,今さらながら教えてくれたような気がする。
一日一日寒さが厳しくなるけれど,花を咲かせてくれるのが待ち遠しい。
家を建てたとき,イチイやドウダンツツジなど何本か植栽をいただき,
無計画にあちこちに植えてしまった一本だ。
キッチンの出窓から何となく見えるのだが,大した手入れもされないのに
毎年花を咲かせているのだけは,わかっていた。
東南の角は,隣家との境になっていて陽当たりも悪い。
気がつけばお日様が当たる隙間に向けて,けなげに枝を伸ばしている。
夏の初めに出窓からのぞくと,何やら枝に白い塊がみえる。
何だろうと外に出てみると,!!! カイガラムシの塊ではないか!
枝のあちこち,葉っぱのあちこちに白い点々がたくさんついている。
小さくてたくさんいるのが大嫌いな私は,身の毛がよだつような気がした。
けれどもそのとき,毎年,人知れず花を咲かせている寒椿を助けてやりたいと思ってしまった。
歯ブラシと剪定ばさみを用意して, 念入りに,枝の一本一本,葉っぱの表も裏も,
目視する限り,もういないと思えるまで手を入れてみた。
今,11月も終わりに近づき,寒椿はたくさんつぼみをつけている。
何だか,葉っぱもつやつやして,枝ぶりも元気がいいような気がする。
寒椿は,自分だけでも枝を伸ばし,花を咲かせていた。
でも,ひと手間手をかけたことが,少しは成長の助けになったのではないかと感じた。
普段から庭の手入れをしっかりやっている方には,笑ってしまうようなことかもしれない。
でも,無精だった私は,本当によかったと思った。これからは,ちゃんとやろうと思った。
思わず手を出したくなるときがある。でも,それが相手にとってどうなのか,
的確なことなのか,余計なお世話なのか,古い価値観ではないのかといろいろ悩ましい。
それでも,きちんと手をかけていくことの大切さを,
20年近くも放っておかれた寒椿が,今さらながら教えてくれたような気がする。
一日一日寒さが厳しくなるけれど,花を咲かせてくれるのが待ち遠しい。
(19:50)
2016年11月11日
会社の窓から見える市立図書館のイチョウの木が,いよいよ黄色さを増してきました。冷え込みが厳しくなり,真冬と同じ服装で仕事をする日もあります。
第63集『しなの子ども詩集』の編集も佳境を迎えています。今年は県下の各小中学校から約3000点の応募があり,1117点が入選作品として選ばれ,掲載されます。子どもたちの生き生きとした日常が伝わってくる力作ばかりです。
編集作業をしていると,私は自分の通っていた小学校で制作されていた詩集を思い出します。全校生徒が900名を超える大規模校だったのですが,毎年,全児童の詩を載せた詩集を制作していました。かなり昔からの試みだったようで,学校の図書室には過去に制作された詩集がずらりと保管されていました。
私の母も同じ小学校の出身だったので,当時子どもだった私は
「どこかにお母さんの書いた詩があるんだ!」
そう思って何度か母の書いた詩を探しに,図書室の片隅の保管場所に足を運びました。しかし,色あせた古い詩集のページをいくらめくっても,見つけることはできませんでした。
今にして思えば,さすがに母の在学中は制作していなかったのだろうか……?
そう思い,昨日初めて母に尋ねたところ
「あったわよ。でも当時は,全員の作品が載ったんじゃないの。私も1回載ったわよ」
と言ったので,驚きました。今現在,その詩集の制作が続けられているかはわかりませんが,何十年もの間,その時代の子どもたちの気持ちを載せ続けてきたものだったのだとわかりました。それと同時に,二十年以上前,一生懸命母の書いた詩を探していた小さな自分の後ろに立って,
「もっとよく探してごらん。ちゃんとどこかに一つだけ,お母さんの詩が眠っているよ」
そう言ってあげたくなりました。
さて,今年の第63集『しなの子ども詩集』予約募集封筒では,昨年に引き続き『信州の小さな詩人たち』,加瀬清志著『子育てが楽しくなる73のヒント』も合わせて購読募集いたしております。この機会にぜひお求めください。
〈書籍の情報〉
『信州の小さな詩人たち』URL http://www.shinkyo-pub.or.jp/book/8304.html
『子育てが楽しくなる73のヒント』URL http://www.shinkyo-pub.or.jp/book/8307.html
なお,第63集『しなの子ども詩集』は予約限定出版です。予約募集の締切日をご確認ください。
第63集『しなの子ども詩集』の編集も佳境を迎えています。今年は県下の各小中学校から約3000点の応募があり,1117点が入選作品として選ばれ,掲載されます。子どもたちの生き生きとした日常が伝わってくる力作ばかりです。
編集作業をしていると,私は自分の通っていた小学校で制作されていた詩集を思い出します。全校生徒が900名を超える大規模校だったのですが,毎年,全児童の詩を載せた詩集を制作していました。かなり昔からの試みだったようで,学校の図書室には過去に制作された詩集がずらりと保管されていました。
私の母も同じ小学校の出身だったので,当時子どもだった私は
「どこかにお母さんの書いた詩があるんだ!」
そう思って何度か母の書いた詩を探しに,図書室の片隅の保管場所に足を運びました。しかし,色あせた古い詩集のページをいくらめくっても,見つけることはできませんでした。
今にして思えば,さすがに母の在学中は制作していなかったのだろうか……?
そう思い,昨日初めて母に尋ねたところ
「あったわよ。でも当時は,全員の作品が載ったんじゃないの。私も1回載ったわよ」
と言ったので,驚きました。今現在,その詩集の制作が続けられているかはわかりませんが,何十年もの間,その時代の子どもたちの気持ちを載せ続けてきたものだったのだとわかりました。それと同時に,二十年以上前,一生懸命母の書いた詩を探していた小さな自分の後ろに立って,
「もっとよく探してごらん。ちゃんとどこかに一つだけ,お母さんの詩が眠っているよ」
そう言ってあげたくなりました。
さて,今年の第63集『しなの子ども詩集』予約募集封筒では,昨年に引き続き『信州の小さな詩人たち』,加瀬清志著『子育てが楽しくなる73のヒント』も合わせて購読募集いたしております。この機会にぜひお求めください。
〈書籍の情報〉
『信州の小さな詩人たち』URL http://www.shinkyo-pub.or.jp/book/8304.html
『子育てが楽しくなる73のヒント』URL http://www.shinkyo-pub.or.jp/book/8307.html
なお,第63集『しなの子ども詩集』は予約限定出版です。予約募集の締切日をご確認ください。
(15:18)
2016年11月04日
最近,新しく発売されたiPhone 7を買いました。発売当初から品薄で,私も予約してから3週間くらい待たされました。
今回からおサイフケータイや防水機能がついたり,カメラの画質がよくなったりなど,いろいろな機能が追加され,毎日便利に使っています。
もっとも,iPhoneで新機能として話題になったこうした機能は,日本の携帯電話ではずっと前から当たり前に搭載されていました。例えば,おサイフケータイや防水に対応した携帯電話は,10年以上前から発売されています。
日本の携帯電話は世界的に見てもとても素晴らしいものだったのですが,あまりにも独自に発展しすぎて世界標準からかけ離れ,逆に国際競争力をもてなくなってしまいました。これをガラパゴス諸島で独自に生物が進化を遂げたことになぞらえて,かつての日本の携帯電話は「ガラパゴスケータイ」,略して「ガラケー」と呼ばれるようになったというのは有名な話です。
昔はいろいろな日本のメーカーが携帯電話を作っていたのに,iPhoneが日本に入ってきてから,いつの間にか海外メーカーのスマートフォンばかりが目立つようになってしまいました。
日本のガラケー市場を大きく変えたiPhoneが,一周まわってガラケーの象徴的存在だったおサイフケータイを日本向けに搭載したというのが面白いところです。
日本には,このように独自に発展したガラパゴスなものが多いといわれます。
数学界で言えば,「和算」があげられるのではないでしょうか。
和算というのは,江戸時代に日本で独自に発展した数学で,西洋の数学とも肩を並べる高いレベルのものだったといわれています。
加えて、一部の学者だけではなく、武士や一般庶民などいろいろな人が和算に取り組み、娯楽として親しまれていたということも素晴らしいことです。ベストセラーとなった和算書を読んだり、和算の師匠に弟子入りしたりして力を磨き、問題を自分で作ったり、他の人が作った問題に挑戦したりしていたそうです。
数学が広く趣味として親しまれていたなんて,昔の日本人はすごいなと思いました。
しかし,このように広く日本に広まっていた和算も、明治時代に西洋の数学が導入されてからは,あっという間に廃れてしまいます。
今となっては,和算の存在自体を知らないという方も多いのではないでしょうか。
さて,信教出版では,『信濃の和算』という書籍の販売を,最近再開いたしました。
『信濃の和算』は,信濃の和算史に関する研究を続けてきた赤羽千鶴先生によって記され,昭和53年に発行された,長野県の和算家について書かれた本です。
古い書籍で久しく絶版となっていましたが、このたびオンデマンド版として復刊することになりました。
長野県は東信・南信・中信・北信の4地域に分けられますが,赤羽先生によると,「これらの地域間の結び付きが稀薄で,和算の伝来発達に非常なちがいがある」そうです。
日本の中で独自に発展してきた和算が、さらに長野県内でも地域毎に独自に発展してきたわけです。そこに加えて,ひとくちに和算といってもさまざまな流派が存在しますので,長野県の和算の歴史を紐解こうとすると,とっても複雑で大変です。
『信濃の和算』は、さまざまな流派についても触れながら,東・南・中・北信の地域区分に従って,各地の和算家について明らかにしています。
和算の消滅から時間が経って資料が乏しい中,長野県の和算家を体系的にまとめあげるのは,非常に骨の折れる作業であったことは容易に想像がつきます。
和算の研究書自体が貴重なものですが,さらに長野県の各地における和算の発展について記された本書は,長野県の数学史をたどる上で,とても貴重なものであるといえるのではないでしょうか。
『信濃の和算』は,Amazon等でお買い求めいただけます。
詳しくはこちらからご覧ください。
http://www.shinkyo-pub.or.jp/book/7008.html
西洋数学が導入されて100年以上経ってもなお、和算研究が行われているところに、和算の偉大さを感じます。
『信濃の和算』が、そうした研究の一助になれば幸いです。
今回からおサイフケータイや防水機能がついたり,カメラの画質がよくなったりなど,いろいろな機能が追加され,毎日便利に使っています。
もっとも,iPhoneで新機能として話題になったこうした機能は,日本の携帯電話ではずっと前から当たり前に搭載されていました。例えば,おサイフケータイや防水に対応した携帯電話は,10年以上前から発売されています。
日本の携帯電話は世界的に見てもとても素晴らしいものだったのですが,あまりにも独自に発展しすぎて世界標準からかけ離れ,逆に国際競争力をもてなくなってしまいました。これをガラパゴス諸島で独自に生物が進化を遂げたことになぞらえて,かつての日本の携帯電話は「ガラパゴスケータイ」,略して「ガラケー」と呼ばれるようになったというのは有名な話です。
昔はいろいろな日本のメーカーが携帯電話を作っていたのに,iPhoneが日本に入ってきてから,いつの間にか海外メーカーのスマートフォンばかりが目立つようになってしまいました。
日本のガラケー市場を大きく変えたiPhoneが,一周まわってガラケーの象徴的存在だったおサイフケータイを日本向けに搭載したというのが面白いところです。
日本には,このように独自に発展したガラパゴスなものが多いといわれます。
数学界で言えば,「和算」があげられるのではないでしょうか。
和算というのは,江戸時代に日本で独自に発展した数学で,西洋の数学とも肩を並べる高いレベルのものだったといわれています。
加えて、一部の学者だけではなく、武士や一般庶民などいろいろな人が和算に取り組み、娯楽として親しまれていたということも素晴らしいことです。ベストセラーとなった和算書を読んだり、和算の師匠に弟子入りしたりして力を磨き、問題を自分で作ったり、他の人が作った問題に挑戦したりしていたそうです。
数学が広く趣味として親しまれていたなんて,昔の日本人はすごいなと思いました。
しかし,このように広く日本に広まっていた和算も、明治時代に西洋の数学が導入されてからは,あっという間に廃れてしまいます。
今となっては,和算の存在自体を知らないという方も多いのではないでしょうか。
さて,信教出版では,『信濃の和算』という書籍の販売を,最近再開いたしました。
『信濃の和算』は,信濃の和算史に関する研究を続けてきた赤羽千鶴先生によって記され,昭和53年に発行された,長野県の和算家について書かれた本です。
古い書籍で久しく絶版となっていましたが、このたびオンデマンド版として復刊することになりました。
長野県は東信・南信・中信・北信の4地域に分けられますが,赤羽先生によると,「これらの地域間の結び付きが稀薄で,和算の伝来発達に非常なちがいがある」そうです。
日本の中で独自に発展してきた和算が、さらに長野県内でも地域毎に独自に発展してきたわけです。そこに加えて,ひとくちに和算といってもさまざまな流派が存在しますので,長野県の和算の歴史を紐解こうとすると,とっても複雑で大変です。
『信濃の和算』は、さまざまな流派についても触れながら,東・南・中・北信の地域区分に従って,各地の和算家について明らかにしています。
和算の消滅から時間が経って資料が乏しい中,長野県の和算家を体系的にまとめあげるのは,非常に骨の折れる作業であったことは容易に想像がつきます。
和算の研究書自体が貴重なものですが,さらに長野県の各地における和算の発展について記された本書は,長野県の数学史をたどる上で,とても貴重なものであるといえるのではないでしょうか。
『信濃の和算』は,Amazon等でお買い求めいただけます。
詳しくはこちらからご覧ください。
http://www.shinkyo-pub.or.jp/book/7008.html
西洋数学が導入されて100年以上経ってもなお、和算研究が行われているところに、和算の偉大さを感じます。
『信濃の和算』が、そうした研究の一助になれば幸いです。
(19:34)