2016年06月

2016年06月24日

英語教育に関する話題が相変わらず盛んです。

先日の報道によれば,次期学習指導要領での英語教育の内容を検討している
ワーキンググループで,英語の4技能「読む・聞く・書く・話す」の
具体的な学習到達目標を各学校が設定するとの取りまとめ案を大筋了承したとか。

また指導する単語数も,小学校で600~700語程度,中学校では現行の1200語程度から
1600~1800語程度に増える見通しとのことで,今現在,語数に関する規定のない
小学校で600~700語の指導,前の指導要領では900語程度指導することになっていた
中学校でも当時の約2倍の1700~1800語の指導と,
これからの子どもはたくさん勉強しなくてはならないので大変だなあと思います。

思い起こせば,私が1年間の浪人生活の末,ようやく大学に合格して
これからは大学生というときに,高校時代の恩師に
「これからはバイリンガルどころか,トライリンガルでないと生きていけない時代が来る」
と言われ,恐れおののいた記憶があります。

正直なところ,あれから20年以上がたった今でも,
自分に関しては3か国語はおろか2か国語すら使いこなすことがままなりません。
でも,バイでもトライでもなくてもなんとか社会人として仕事をさせてもらえ,
そのほかの日常生活でもさして不自由なく生活できています。

もちろん外国語を自由に操る人には強く憧れますが,
母国語以外の言語を身につけるのはそうたやすいものではありません。

以前,私が仕事でお世話になった先生にこんな話を聞きました。

ある年の雪まつりの会場で,外国の方が自動販売機の前で立ち往生していたそうです。
放っておくことのできなかったその先生は,英語は得意ではないけれど勇気をふりしぼって
「トラブル?」と声をかけたそうです。
その先生の発音は,私が聞いた感じだと
「Trouble?」というより
「とらぶる?」という感じの発音でしたが,
外国の方はお目当ての飲み物を買うことができずに困っていると
身振り手振りで説明したそうです。
状況を理解した先生は,近くのお店まで一緒に行ってあげて,
同じ商品がそのお店にもあることを教えてあげたそうです。
その方は欲しかった飲み物を買えてことなきを得たとのことでした。

こういう話を聞くと,あまり大きな声では言えませんが,
英語を話せることはもちろん大事なのですが,
それよりも結局は人間力というか,困っている人に手を貸してあげようという
親切な心の方が大切なのではないかと思ってしまいます。

わたしも思い切って,「とらぶる?」と声をかけてあげられる人になりたいです。


TY

(17:43)

2016年06月20日

今月の6日に,日本図書教材協会主催の研修会が東京で開かれ,参加しました。
「次期学習指導要領の方向性」と題して安彦忠彦さんが講演してくださいました。
教材会社に向けての研修会ということで,200人入る会場がいっぱいに埋まりました。

安彦さんは昨年8月に出された中央教育審議会の「論点整理」をベースにして新しい学習指導要領の考え方をわかりやすく話してくださいました。

この「論点整理」によりますと,「自立した人間として多様な他者と協働しながら創造的に生きていく」ために必要な資質・能力が重視されており,次期学習指導要領では,この資質・能力の構造を明らかにした上で,その構造の中で各教科の目標や内容が示されるのではないかといわれています。

また,児童・生徒に育成すべき資質・能力の要素として,次の3つが示されています。
  ①何を知っているか・何ができるか(知識・技能)
  ②知っていること・できることをどう使うか(思考力・判断力・表現力)
  ③どのように社会・世界と関わり,よりよい人生を送るか(学びに向かう力等)
①は主に個別の教科において育成される要素,②は問題発見・解決のプロセスの中で育成される要素,③は①②をどのような方向性で働かせていけばよいかに関わる要素であるとされており,この3要素がそのまま評価の観点にもなるということです。

また「論点整理」では,近い将来,現在の半数近くの仕事が自動化されるだろうとか,
人工知能が人間より高い知性をもつ(シンギュラリティ)だろうという報告などをふまえ,
世の中のグローバル化,ICT化といった変化は,どのような生き方をするかにかかわらず,
全ての子どもたちに影響してくるという認識に立たなければならないと指摘しています。

このような認識から,上の「資質・能力」の構造の中にデジタル教科書やプログラミング教育がどのように位置づいてくるのか,またアクティブ・ラーニングがどのような形で学習方法や評価などに反映されるのか,とても興味深いところですが,具体的な内容は今後「中間まとめ」を経て中教審の答申や新学習指導要領の告示を待たなければわかりません。

ただ,今回の研修会で,教育という船の理念は変わらずとも,舵の方向が世の中の流れを踏まえて少しずつ変わろうとしていることは伝わってきました。

(N)

(18:17)

2016年06月10日

ここのところ,デジタル教科書についての報道がにぎやかだ。
教科用図書として児童生徒が実際に使用するには,今までもいろいろ検討はされていたが,
権利面からもハード面からも,経済的な面からも乗り越えなければならない障害が多々あり,
32年教科書改訂では,とても無理だと思っていた。
しかし,文部科学省は,平成32年から「デジタル教科書」を導入する方針を正式に示し,
これからそれに向けた法律の改正も進められるということである。

信教出版でも平成23年から,教授用「デジタル理科教科書」を発行している。
実際の体験を大切にする信州教育であるが,
ICTを活用した教育の効果もしっかり検証しなければならない時代がきているのだとも思う。


さて,話は変わるが,5月に東京都美術館で開催された「生誕300年記念 伊藤若冲展」に行ってきた。
異端,奇想の画家ということで,私が学生のころ日本美術史の講義でその名を聞いた記憶はない。
それが平成12年,京都で開催された没後200年展を期に,にわかに脚光を浴びるようになった。
ここ数年はNHKの番組でも何度か取り上げられ,今やブームといってよい人気だ。

予想通り,チケットの購入に1時間,入館に3時間!,グッズ購入の支払いに30分という混雑で,
すっかりくたびれてしまったが,行ってよかったと心から思える展覧会だった。

ところで今回,私は何を目的にこの展覧会に足を運んだのかということだが,
実際の色を見る,というのが最大の目的だった。
混雑する会場で,なかなかじっくりと作品を鑑賞できないということはよくわかっていた。
人の頭越しで全体を見ることができないこともしょっちゅうあることだ。
そうであるなら,画集やテレビ番組の方がよっぽどきちんと見ることができるはずである。
画集は,ゆっくりと若冲の作品を鑑賞させてくれた。
テレビ番組は,作品を拡大して,画布にのった顔料を詳細に見せてくれた。
表からも裏から顔料をのせる裏彩色の効果もしっかり見せてくれた。
しかし,仕事柄,印刷で実際の色を表すことがどんなに難しいか,
画面の色が,必ずしも現実の色ではないということに悩んでいる身としては,
どうしても本物が見たかった。

満員の館内で見た若冲は,今まで目にしていたものより落ち着いた色合いのように感じたが,
不思議だったのは,有名な群鶏図のトサカの赤だけは,印刷物より,画面より鮮やかに感じたことだ。

人間は,器官としての目と,心の目の両方で物を見るのかもしれない。
であるなら,教材もバーチャル一辺倒ではその本質が見えないのではないかと思う。

前途多難である。

(16:55)

2016年06月03日

先週末に県外の友人と軽井沢に旅行に行ってきました。10年程前に買い物に行ったことがあるくらいで,観光するのは初めてでした。おすすめの場所などを聞かれてもほとんど答えられず,県外の友人の方が詳しいくらいでした。同じ県内にあるので何となく知っているつもりでいても,実際は知らないこと・場所って沢山あるんだなぁと改めて実感しました。

現在仕事で県内の学校の名前や住所を見たり聞いたりしていますが,こうやって読むんだ,ここの場所のことなんだ,と発見することがお恥ずかしながら多いです。意外と身近なところにほど知らないことが多いのかもしれません。日々勉強の毎日です。

(09:21)