2013年03月

2013年03月22日

 最近,「花粉症」のせいで目がかゆく,そして鼻がムズムズしています。
 毎年のことなのですが,止まらない目のかゆみや鼻の不快感には耐え難いものがあります。
 耳鼻科で処方してもらった薬を飲んでいるのですが,
 薬を飲むと強烈な眠気が襲ってくるので,昼間は我慢しています。
 あぁ,早く花粉の飛ばない季節になってほしい……。

 さて,私事ですが,先日新しい「カメラ」を購入しました。
 購入のきっかけは,以前に部内で開かれた「カメラ講習」なのですが,
 せっかく得た知識や技能を活用せずに,ただ忘れてしまうのは,
 大変もったいないと思ったからです。

 しかし,所持していたカメラは古く,
 講習会で説明された実技に対応する機能がほとんどありませんでした。
 そこで,「新しいカメラを購入しなければ」と思いました。
 そして,しばらくの間,電器店を巡ったりカメラの雑誌を読んだりしながら
 「どんなかめらにしようか」と悩みました。

 約1年間悩んだのですが,最終的には,自分の撮りたい写真やライフスタイル等を考えて,
 機動性を確保しつつしっかりとした写真が撮れそうなコンパクトデジカメのやや高級機に決めました。
 また,カメラを購入すると同時に撮影の基礎を学ぶためのテキストも入手して準備を整えました。

 今後は,長野県の美しい景色や様々な行事等を写真に収め,
 新しい教材開発等のコンテンツとして活かせるように努めていきたいと思います。
 また,ホームページやブログの充実の一助にも役立てられるように頑張ります。

(13:15)

2013年03月15日

先日,自宅の近所を歩いていると,小学3,4年生とおもわれる子どもたちが,
「よい日よ~よい日よ~よい日今日は~」と歌いながら歩いていました。

その歌を最後に歌ってから,何十年という年月が過ぎているにもかかわらず,
すぐに思い出しました。

そう,卒業式で歌ったあの歌です。

「うららかに~」から始まるこの歌は,わたしの通っていた
小学校の卒業式でも毎年必ず歌われていた歌で,低学年,中・高学年,
卒業生,先生とパートごとに歌うところが分かれており,
トータルで15分くらいある長い曲です。

歌詞の内容も,低学年から卒業生へ,卒業生から低学年へというように
呼びかけるような感じになっていて,とくに先生から卒業生へ
歌いかける部分は,抒情的なメロディーと卒業生を励ます歌詞が相まって,
今思い出してもなかなか感動的であります。

自分が小学生だったころは,卒業式が近づくと寒い講堂で
何度もこの歌の練習をしたので,やや苦痛に感じたこともありましたが,
今となっては卒業式にピッタリな,いい歌だと思います。

久しぶりに気になったので少し調べてみたところ,この曲は
「卒業式の歌」(小林純一:構成・作詞,西崎嘉太郎:作曲・編曲)
という曲だそうで,わたしは勝手に長野県内の一部の小学校だけで
歌われているのかと思っていましたが,全国の小学校で卒業式に
歌われているそうです(失礼しました)。

もうそろそろ卒業式という学校も多いと思いますが,
それぞれの学校を卒業するみなさん,ご卒業おめでとうございます。

新しい場所でのますますのご活躍をお祈りしています。


TY

(15:22)

2013年03月12日

昨年暮れに発行したオンデマンド版『正受老人とその周辺』と同様,
ご要望が多く復活することになった『正受老人の詩と偈頌』のオンデマンド本ですが,
あと少しで発行のはこびとなりました。

ご存じのように正受老人は,江戸時代に禅の道を究められた偉いお坊さんです。
『正受老人の詩と偈頌』の「偈頌(げじゅ)」とは,仏教の教理を韻文の形で述べたもので,
禅宗では,悟りの境地などを表現する漢詩のことを表すそうです。

先の『正受老人とその周辺』で正受老人の生涯について著された中村博二先生は,
正受老人の詩と偈頌を通して,正受老人という人そのものを追究されていたようです。
まさに中村先生の研究の集大成ともいうべき作品だと思います。

中村先生の文章を引用しますと,
「禅は印度に起こり中国に入り日本に伝来したが,印度では名実共に消滅し,
 中国では遺跡だけがその後をとどめるにすぎないといわれる。
 その真髄を今日まで保持し得ているのは日本禅だけではないかとされている。
 日本禅とても鎖国時代に生きた正受老人が存在しなかったならば,
 その真髄は完全に消滅していたかも知れない。」
とありますように,
存在そのものが禅であることを志したといわれる正受老人がいなければ,
禅は,現在のような形では世界に広まっていなかったかもしれません。
まさに,世界の禅の原型が「正受禅」にあるといわれる所以だと思います。

正受老人は,松代で生まれ飯山で育ち,16歳の時に悟りを開かれたそうです。
こんな身近に禅の道を究められた偉人がいたことは驚くべきことです。
以前に,正受老人が半生を過ごされた飯山の正受庵を訪れたことがありますが,
とてもそのようなえらいお坊さんがいたところとは思えません。
正受老人の弟子の白隠が,その弟子の円慈に与えた詩の中で,
正受老人のことを次のように表現しています。(本文より引用)
「ぼろなべのように役に立たないおいぼれ親爺が
 わらじをはいて黄河のわたしをわたっていく」 と。

なお,正受老人の生い立ちや禅のことなどについては,
弊社発行の『正受老人を看よ』に易しく書かれています。
この本は,小さい判で薄く,一気に読めますので,
ぜひそちらもご覧いただければと思います。

(N)

(15:22)

2013年03月04日

雑誌「信濃教育」2月号(1515号)巻頭言で信濃教育会会長の後藤先生が
本年度最後の「ふるさとの大地」編集委員会に出席されたときの所感を述べていらっしゃる。
その委員会に私も出席していたのだが,巻頭言にもあるように,
初めて「ふるさとの大地」編集委員に選任された先生方が
初めはその存在すら知らず,委員に選任されたことに後ろ向きな気持であったのに,
いつしかやりがいを感じていった様子が本当によく伝わってきて,私も胸が熱くなった。
そして,会の最後の後藤先生のあいさつに,また深く感銘を受けた。

後藤先生は,
「今までの教員生活の中で,きた仕事は断らない,をモットーにやってきた。」とおっしゃった。
それをお聞きして,社会人になってから今までの自分自身を振り返ってみた。
そうすると,ダメだ,できないと思いながらも,何とか取り組んだ仕事は,
結果の如何にかかわらず,自分の世界を広げてくれたし,
それによってわずかでも成長できて,よい経験だったと思えたのに対して,
逃げ出してしまった仕事については,
どうして逃げ出したんだろう,どうして頑張れなかったんだろうと
情けない気持ちでいっぱいになってしまった。
まさに“やらずに後悔するより,やって後悔した方がいい”ということだ。

振り返って,仕事を依頼する時の気持ちを考えてみれば,
この人なら,きっといい案を出してくれるだろう,
きっといいものを仕上げてくれるだろうと思うからこそ,依頼するのだ。
その確信がもてなくても,なんとかやり遂げてほしいと願って依頼するのだ。

仕事が来るということは,そういうことなのだろう。
待ってましたと意欲満々で取り組めることもあるが,
時には,期待にこたえられるか,ちゃんとやり遂げることができるか,
そんな不安に足がすくんでしまうこともあるだろう。
こんなことはやりたくないと思うこともあるだろう。
それでも逃げずに取り組んでみることが大切なのだと思う。
もちろん成果をあげるべく取り組むわけだが,もしも思うようにいかなくても,
経験が財産になるということは,確かなことだ。

“断らない”は,もしかしたら成長への一番の近道なのかもしれない。

(17:30)