2010年05月

2010年05月28日

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先日,家人の実家のある I 町のM神社で,
7年に一度の「御柱祭」が行われるということで,お呼ばれにあずかった。

御柱祭といえば,本家諏訪大社の御柱が有名だが,
調べたところによると,全国に諏訪系の神社は5,000以上もあるそうで,
実は私の地元にも近所に諏訪系の神社があり,御柱祭がおこなわれているのを
目にしたことがある。
おそらく,この時期,全国各地の諏訪系の神社でそれぞれに御柱祭が営まれたことだろう。

当日は,早朝から神社でイベントがあるので,早く来るよう言われていたものの
結局起きられず,到着したころには時計は10時をまわっていた。

なにやらにぎやかな音がする方へ歩いていくと,御柱を先頭に山車が何台も出て,
地元の小中学生とおぼしき女の子たちが巫女の装束で歩いていたり,
男の子が太鼓をたたいたり,馬に乗ったり,まといのような棒を持ったりしながら
大勢練り歩いていた。
日中(土曜日)の,しかも午前中からすごい盛り上がりである。

神社までの道中,ところどころで行列は止まりながら,
時間をかけてゆっくりと町内を練り歩いていく。
山車と一緒になって歩いていく人々をよく見ると,いくつかグループがあるらしく,
みなさんそれぞれに「奉賛会」「木遣」などとプリントされた
おそろいのTシャツやハッピを身にまとっている。

大人も子どもも大変楽しそうであり,7年に一度の一大イベントを
心から楽しんでいるように見える。
大人はそれぞれに役割分担がされていて,交通誘導,写真係,山車の係,
子どもたちを取りまとめる係,御柱を曳いていく係など,
しっかりと組織化がされていて,老いも若きも大変まとまりがあったことが印象に残った。

以前に,この地域でのほかのお祭りを見物したときにも感じたが,
I 町の人々は非常にお祭りや伝統行事を大事にする。
一方,私の地元では,たいていお祭りの役員とか,
神社の氏子とかいった役回りはできるだけ避けて通りたいという人が多いのだが,
ここでは正反対のようで,以前家人から聞いた話だと,
お祭りの役に就けなかった人がそれを不服に思い,
役を得た人と殴り合いの喧嘩になったということがあったそうである。

まあ,殴り合いは行き過ぎだが,それだけ地元を思う気持ちが強いということだろう。

ここまで夢中になれる地元の伝統行事があるということは,
ある意味うらやましいことである。
今後も残念ながら少子化の傾向は続くだろうけれど,
子どもたちにも地域の行事を大事にしていってほしいと思った一日であった。


TY

(17:38)

2010年05月10日

もう1か月も前になるのだが,4月10日に教科書協会主催の「教科書の日」制定記念式典が開かれ,
関係者として出席した。
(「教科書の日」とは,広く一般の方々に教科書の役割を知っていただくとともに,
教科書の仕事に従事する者が,その社会的意義や責任を再確認することを目的として設立されたもので,
正式な記念日として登録されている。)
そこで朗読会が行われ,テレビドラマでおなじみの林隆三さんが「虔十(ケンジュウ)公園林」という話を朗読された。
「虔十公園林」は宮沢賢治の著作で,時代背景が現代とは違う。
少し足りないといわれている少年・虔十が,まわりからバカにされながらも700本の杉苗を家の近くに植える。
彼が死んだ後,歳月を越えてそれが杉林の公園となり,子どもたちの遊び場になるという話である。
林隆三さんは身振り手振りを交えて朗読というか「演技」をされ,
目をとじるとその場面の様子がありありと浮かんでくるようであった。
と同時に,虔十のまっすぐな思いも伝わってくる。
林さんの生の朗読と「虔十公園林」という話が印象的で,新鮮な体験だった。

もう一つ新鮮な体験というのは,
夏・冬休み帳の担当になり,信濃教育会主催の「信州子ども絵画100年館」を見たことである。
去る3月20から4月20日まで開かれていた第23回「信州子ども絵画100年館」では,
県内の小中学校から応募のあった絵画作品8,285作品のうち,中央入選した236作品が展示されていた。
毎年,夏・冬休み帳の表紙には児童の絵画作品を掲載しており,その作品は
「信州子ども絵画100年館」で中央入選した作品から選ばれている。
最近は児童の作品のみならず絵画そのものをちゃんと見る機会がなく,感覚が鈍っていたかもしれない。
そんな私の鈍った感覚を呼び覚ますような素晴らしい作品の数々で,まるで芸術家の卵の作品を見るようであった。
形はリアルではないかもしれないが,情景というか様子がストレートに自然に伝わってくる,そんな感覚であった。
決して大げさではない。

デジタルの情報が溢れている日常の中で,
アナログの,しかも新鮮で生き生きとした芸術に触れることはすばらしい。
忙しいときほど時間をとって芸術にふれなくては,と思った。

(N)

(12:09)