2009年12月

2009年12月28日

 今年も残りわずかになりましたが,皆様はいかがお過ごしでしょうか。私は,仕事がようやく落ち着いてきましたので,今まで進行してきた仕事について確認をして,できる限り「やり残し」が無いように整理をしています。
 さて,今年1年間を振り返ってみると,やはり「移行措置」に関連する学習参考書の製作が忙しかったと思います。中でも,『春休みの学習』が1番だったと感じました。なぜかというと,移行措置による問題の見直しはもちろんなのですが,なにより初めて「休み帳」の製作をするという「プレッシャー」があったことがあげられます。
 今回の『春休みの学習』は,現行のものをベースにして移行措置に関する部分を追加していくことが編集の主な内容でした。したがって,全面改訂をするわけではありませんでしたので,作業する内容はそれほど多くなかったと思います。しかし,いざ編集が本格化して,わからないことについて先輩の指導をよく聞くと,「問題文の表現がわかりくい」や「配置している資料の整合性」など様々な指摘を受け,とにかく覚えることが多く,だいぶ苦労した面がありました。
 そして,先週ようやく校了になり「ホッ」と一息ついたところです。7月にスタートして校了になる12月までの約半年間,じっくり取り組んで作り上げることができました。また,その間,お忙しい中にもかかわらず原稿作成を快く引き受けていただいた先生方,本当にありがとうございました。
 来年1月の発行で,発行後は順次各学校へ見本が届くと思います。見本が届きましたら手にとっていただき,「年度末も学習習慣を維持し,1年間のまとめがしっかりできる『春休みの学習』」をぜひご検討いただきますようお願いいたします。

 今年1年ありがとうございました。皆様,よいお年をお迎えください。

(17:57)

2009年12月21日

早いものでもう12月も半分以上過ぎました。
最近では寒さも本格的となり,先週あたりから長野県北部でも
本格的に雪が降るようになりました。

雪があまり降らない地方の方はご存じないかもしれませんが,
雪が降るといろいろな点で大変です。

まず,徒歩にしろ車にしろ,移動に大変な支障が出ます。
そこで,雪かきの必要が出てくるわけですが,
ほんの狭い場所であればそれほど苦にはなりませんが,
駐車場などの広い場所となれば,大変な重労働です。

それから,道路も片付けられた雪が道の両側に残され道が狭くなり,
場合によっては路面上の雪が踏み固められてすべりやすくなるので,
車の運転にもふだん以上の神経を使います。

また,屋根に雪が積もり,さらにその上にも雪がつもってゆくと,
屋根が雪の重みに耐えられなくなることがあるので,屋根の雪下ろしをする必要も出てきます。

と,まあ,苦労話を並べてしまいましたが,
私が子どものころ(20年以上前)からすると,毎年の降雪量は年々減ってきていると感じます。
以前は,12月の始めには1回や2回大雪が降り,1月2月の寒い盛りには,
屋根から飛び降りても平気なくらい,雪が積もったものでした。

道端の側溝にも,ふたのようにこんもりと雪がつもり,
その上を知らずに歩いてしまい雪を踏み抜いてずぶぬれ…,なんてこともよくありました。

やはりこの雪の少なさは,地球温暖化の影響なのでしょうか。

雪が少なければ,上のような苦労も少なくてすむので楽ではありますが,
温暖化のせいでそのほかにも重大な影響が出ているとなれば,
手放しで喜んでいるわけにもいきません。

今現在,環境問題に関する会議は世界各地で行われ,
話題も巷にあふれていますが,この間報道で目にしたところによれば,
某国での発電のおもな手段は石炭を燃やすことによる火力発電とのこと。
その国の業界関係者のインタビューによれば,
「このやり方は絶対変わらない。火力発電がベストなやり方だ」と自信満々でした。

確かに,比較的安価な発電方法である火力発電は,消費者のニーズにもあった
合理的なやり方かもしれませんが,排出されるCO2により
結果としていつか自分たちの首をしめるだけでなく,ほかの国の人々の生活にも
多大な影響が出るということになりはしないか心配です。

かといって,「では,ほかの方法は?」と訊かれても,
これといったアイデアがあるわけでもないのですが。

とりあえず,地球環境のためにも,そして教育のためにも
国は科学技術には投資を惜しむべきべきではないと思います。


TY

(09:25)

2009年12月04日

少し前になるが,今年も恒例のえびす講の花火を見に行った。
正式には「長野えびす講煙火大会」というのだそうで,
今年で103回目だから一世紀以上は続いていることになる。

全国的に有名な花火大会のようで,
県外ナンバーの車や大型バスなども多く見られ,
毎年,河川敷近くの大駐車場に入るのが難しい。
今年もやはり駐車場に入れなかったので,
周囲をドライブしながら,車の中で花火を見た。

この花火を見ると,いつも太宰治の「冬の花火」という短編を思い出す。
この作品で太宰は,
戦争で日本は負けたのではなく,滅んでしまったのだ
と主人公に言わせているが,
その滅んだ日本のすがたを「冬の花火」のようだと例えている。
破壊されて何もなくなってしまい,
さびしくつまらなくなってしまった日本の光景を
「冬の花火」に例えているのである。

しかし,実際の「冬の花火」を見てみると,全く別の印象を受ける。
寒い季節に花火を見るのは,結構いいものである。
気温が低く空気が澄んでいて,
夏の花火よりくっきりときれいに見える。
夜空にパッと上がった大きな花火を目にすると,
なんだか気分が安らぐ。

もちろん太宰は,
戦後日本のすがたの象徴として「冬の花火」と言っているので,
実際に見る花火とは全く別物だが,
言葉から受ける印象と実物とが好対照をなしている例だなと,
いつも思いながら帰ってくるのである。

(N)

(18:49)