2007年05月

2007年05月28日

これはもうだいぶ前の出版物になってしまいますが,昭和63年に出版されたこの本は,
当時県内の学校で教職についていらした両角徹郎先生と両角源美先生が,共著で書かれた本で,
文字どおり信州のけものに関するお二方の研究の成果が収められています。

ある日,出版部の倉庫を掃除していて目についたこの本に興味をひかれ,手にとってみました。

この本の内容を見てみると,なんといっても圧巻はネズミに関する部分です。

なんでもこのお二人の先生方の専門分野は,ネズミだそうで,本書においても前半のほとんどの部分を
ネズミに関することに割いていらっしゃいます。

もちろん,そのほかの動物のことも詳しく紹介されており,たとえばカモシカ,アナグマ,イタチ,
タヌキ,ツキノワグマ,ニホンザル,ノウサギなど,われわれの身近にいて大変興味深い動物の生態や,負傷した動物を,実際に学校で児童と一緒に看病・飼育したときのエピソードなどが満載です。

著者のお二人は,普段は県内の小中学校で教員としてお仕事をされるかたわら,休みの日を利用して
野山に出掛けたり,早朝からフィールドワークに出掛け,出勤前に観察をするなどして,野生の動物の
研究に没頭されていたそうです。

夏冬問わず山の中に分け入り,動物の足跡の追跡・調査,糞の採集,サンプルの解剖,地元の人への
訊きこみ,各郡市の動物の研究をされている先生方との協力で,大規模に調査を行ったりと,それは
ものすごい苦労だっただろうと推察されると同時に,お二人の先生方の情熱・パワーに感服する
思いです。

お二人は,野生動物に対して感心・興味があったことはもちろんですが,
『教える立場の者こそ学ばなくていけない』
という信念のもと,日夜研究に励んでいらしたそうです。私は教える立場にある者ではありませんが,
このことばには大変感銘を受けました。

このように,この本は先生方の血と汗の結晶とも言える研究の成果がたくさんつまっており,先生方が
実際に研究した,信州のけものたちの生態について大変詳しく書かれていますが,いかんせんこの本が
出版されてからはや19年・・・。
けものをとりまく環境もだいぶ変わってしまい,かれらの生態も少なからず変化していることでしょう。


地球温暖化,CO2削減等叫ばれる今日,我々一人ひとりが心掛け,信州のけものたちを守っていかなくてはと思います。


『信州自然科学シリーズ6 信州のけものたち』
両角徹郎 両角源美 著 (1988 信濃教育会出版部)

ご注文は(株)しんきょうネット までどうぞ
http://www.shinkyo-net.co.jp/



TY

(17:23)

2007年05月21日

 最近,国際的な学力調査結果に関する報告を読む機会があり,少し心配になることがある。
 IEA(国際到達度評価学会)の教育動向調査によると,調査した外国の生徒に比べて,日本の青少年は科学の有益面を評価している割合が低く,科学技術系の職に就く希望のある生徒が少ないのだそうである。このことは以前にも報道されたので,ご存知の方も多いのではないか。

 現在,身の回りの衣食住にかかわるほとんどの物が,科学技術によって工場でつくられたり,加工されたりしたものである。私たちは,自動車や新幹線,飛行機などを使って,簡単に行きたいところへ行ける。これらの交通手段も科学技術によって生み出されたものである。また,私たちは科学技術により,それまで人間がやっていた仕事を代替することができるようになり,自由な時間を手に入れた。さらに,自由な時間に楽しむさまざまなレジャーも科学技術によって生み出されている。私たちは普段何気なく生活している中で,このことをあまり意識しないだろう。
 現代の日本に生まれてくる子どもたちは,生まれたときからすでに,何不自由なく楽しく暮らせる状況にある。だから,親から教えられたり,学校で学習したりしなければ,豊かな生活を支えている科学技術の重要性には気づかないのではないかと思う。
 日本は資源が少なく,海外から輸入した原材料から工業製品をつくり出し,また海外へ輸出することで諸外国との共存関係が成り立つ国であり,今後もこの原則は変わらないと思う。そして,今後もこの原則を成り立たせるためには,科学技術がその土台として欠かせないのではないだろうか。

 このように考えてくると,若者の科学離れが進み,科学技術系の職に就く人が減っていったとき,はたして日本の科学技術を支えていくことはできるのだろうかと,やや心配になるわけである。もちろん,このように心配しているのは,私だけではないだろうと思いたい。

(15:25)

2007年05月11日

今年の春,
気がついたら庭の一角は薄紫の小さな花をつけた雑草で埋め尽くされていた。
うちの庭は,雑草だからといってむげに刈られてしまうことはない。
ただし,生き残るにはどんなに小さくても地味でもいいから
花を咲かせるのが必須である。
(となれば,たいていの雑草は生き残る♪)
ある年は,ナズナの大群がカスミソウのようだった。
今年群れて咲いているあの花…,知っているのだけど…。
白状すると,私には区別がつかなかったのである。
それが,オドリコソウなのか,ヒメオドリコソウなのか,はたまたホトケノザなのか?
再び,知っているつもりで,知らないことだったのだ。

ネットで調べてみる。
群れて咲いているのは,ヒメオドリコソウだった。
いわれてみれば,段々のフリルのドレスを着た女の子が
ヒラヒラと踊っているように見えないこともない。

「近頃は6年生になっても,オオイヌノフグリも知らない子がいる。」
生活科の委員会でそんな話が出たが,私も偉そうなことはいえない。
今は,ネットで調べればたいていのことに行き着く。美しい写真。ていねいな説明。
でもやっぱり,本来の色,質感,におい,サイズ,息遣いetc 伝わらないものもある。
そんなとき力を発揮するのは,やっぱり本物の体験だと思う。
名前の区別はつかなかったが,私は確かにそれらを知っていた。
だから,もう,決して忘れないと思うのだ。
オオイヌノフグリという名前を知らなかった6年生も,
自然の中で本物のそれに触れていれば大丈夫だと思う。
それに触れた体験とそれを表す言葉が一体となったとき,
6年生は確かな知識を身につけることになるのだろう。

バーチャルな世界,それはそれで楽しいのかもしれない。
また,バーチャルにしか体験しえないこともあるだろう。
しかし,やっぱり現実の体験を積み上げて生きていこうと思う。

(18:14)