2021年08月12日
8月に突入し,毎日朝から30度越えの猛暑日が続いていますが如何お過ごしでしょうか? 私は昔から暑いのが苦手なのですが,ここ数年の気温の上昇で日中の最高気温が体温並みを計測する日もあり,体調管理に苦慮しています。また,昨年に引き続きコロナ禍なので,人と接する際はマスクを着用し,感染対策を徹底しなければなりません。そんな,非常に厳しい暑い夏を乗り越えるために私は食事に気を付けていて,最近は夏野菜の浅漬けにはまってよく作っています。
浅漬けは,キュウリやナス,ズッキーニ等の夏野菜を適当な大きさに切って市販の浅漬けの素と和えて軽くもみ込み,冷蔵庫で約30分程度漬け込めば完成の常備菜としてストックしたり,それをそうめんや冷製のパスタと和えた料理などを作って食べています。ただし水気を含み,夏場は食中毒の菌が繁殖しやすいので毎日,作っているお弁当に入れるのは控えています。
浅漬けは,食欲が低下してしまいがちなこの季節に水分や塩分を補給できて,熱中症対策にも十分効果を発揮する料理だと思います。今度は,ミョウガや青唐辛子等の夏野菜と大根の味噌漬けを刻んで混ぜ合わせた北信州の郷土料理である「やたら漬け」にも挑戦してみたいです。
明日から16日まで弊社は夏季休業に入ります。連日暑い日が続いていますが,皆様どうかご自愛ください。
(14:50)
2021年07月19日
2か月ほど前に,初めてのマイカーを購入しました。
私はもともと運転が苦手で,仕事で必要なときくらいにしか運転はしていませんでした。しかし,仕事で運転しているうちにだんだん慣れてきたのと,さすがに自分の車が無いと不便だと感じるようになったことなどから,車を購入することにしました。
車を購入しようと決めてからは,どんな車にするか,どんな色にするかなど考えるのが楽しく,注文してからは納車を今か今かと待ちわびていました。車をもつことを少しも考えていなかった昨年の自分と比べると,すごい変化です。
そしてやっと納車された初めてのマイカーは,乗り心地もよく,とても便利です。電車通勤なので車に乗るのは休日だけですが,休日にはできるかぎり運転するようにしています。私が子どもの頃は,休日には祖母の運転する車で色々なところにつれていってもらいましたが,祖母が免許を返納してからは,一緒に出かけることは少なくなっていました。今では,祖母が買い物や行きたいところがあると言えば,私が運転して一緒に出かけるようになりました。これまでしてもらったことをやっと返すことができて,車を買ってよかったと感じています。(とは言っても,まだ電動自転車に乗って一人でどこにでも行けるくらい元気な祖母ですが……。)おかげで運転にもだいぶ慣れて,苦手意識はほとんどなくなりました。
仕事で運転するのは,学校を訪問する場合が多いので,これまでは「学校を訪問する緊張」と「運転をする緊張」の両方があり,精神的な疲労が大きかったです。しかし,これからは「運転をする緊張」はかなり軽減されるので,仕事にもいい影響があるだろうと思います。とは言え,事故だけは起こさないように,これからもほどよい緊張感をもって運転しなければならないと思います。
さて,長い梅雨が明け,本格的に夏がやってきました。毎日暑いですが,体調には気をつけて過ごしたいと思います。
(10:10)
2021年06月25日
あるとき,新聞を見て気がつきました。
「三六災害は,今年で60年目なんだ……。」
昭和36年梅雨前線豪雨。
同年6月23日ごろから7月初頭にかけて伊那谷を襲った集中豪雨は,天竜川を氾濫させ,各所で堤防の決壊、土石流、がけ崩れを引き起こしました。県内の死者行方不明者は136名,浸水家屋1万8千戸以上、土砂崩れは約1万箇所にものぼりました。
その未曽有の大災害・通称「三六(さぶろく)災害」から,今年で60年目です。
私は伊那谷出身ですが,最近まで三六災害についてはほとんど関心をもっていませんでした。しかし,当時4歳で龍江地区に住んでいた父が,大水で溢れかえる天竜川を見た,と話してくれたことがきっかけで,三六災害についての本を読んだり,当時を知る人々の体験が語られる新聞記事を熟読するようになりました。
母からは,三六災害のとき,家の西側にそびえている山が崩れた,と聞きました。しかも近所では崩れた土砂に巻き込まれた家もあったという……。そのとき転がってきた大岩も,いまだに近所に残っているというから驚きました。
私は初めて,実家付近のハザードマップを見てみました。確認すると,家のあたりは土石流の警戒区域となっていました。今も昔も,条件がそろえば危険な場所であることに変わりはないのだ,と驚きました。
60年前の『信濃子ども詩集』に,三六災害のことを書いた子がいたかもしれないと思い,災害が起こった昭和36年(1961年)の翌年に出た詩集を見てみました。
そこには,大水が友達の家や田んぼを流してしまったこと,堤防に大きく波が押し寄せるのを見たこと,天竜川の濁流が悪魔のように襲いかかってきたこと——そんな光景と向き合った子どもたちの詩がありました。「三六災害」という言葉は出てこないけれど,きっとその未曽有の災害を経験した子どもたちだと思いました。
「天災は忘れたころにやってくる。」
誰もが一度は聞いた言葉だと思います。
前述した私の実家近くの山は,三六災害の直後は崩れた跡が残っていたそうです。今,その跡はまったく見えません。木々の深緑に爪痕が埋もれても,人々の記憶まで埋もれさせてはいけないのだと感じました。
——今年の夏,飯田に帰ったら,美術館で行われている三六災害の展示を見に行こう。
私たちのような直接災害を知らない世代も,これを風化させず,自然をあなどらず,命を守っていかなくてはいけないのだと思います。
(17:25)