2021年11月05日
早いもので今年も,もう11月を迎えました。
ついこの間まで,暑い暑いと言いながら過ごしていたかと思ったら,いつの間にか日が暮れるのも早くなり,朝,出勤するために外を歩くときも手袋がほしいくらいに肌寒い季節になりました。
さて,そんな季節の移り変わりとともに,県内の小学校には,今年もすでに当社の「冬休み帳」の見本が配られていることかと思います。今回も今まで同様,県内の現役の先生方による編集委員会が熟慮を重ねて制作していますので,子どもたちにとって最適な内容の冬休み帳になっております。
当社の冬休み帳の特長は,なんといっても教科の学習ができるだけでなく,巻末の「自由な学習」のページで楽しい工作や,お正月の伝統的な行事にふれることができるところです。また,裏表紙には子どもたちが実際につくった工作を「ともだちギャラリー」として数多く掲載しているので,それを参考にして自分の作品づくりにいかすこともできます。
特に今年は,一時に比べだいぶ収まってきた感はありますが,コロナの第6波の心配もまだあり,あまり出歩かずに家にいようというご家庭も多くなるのではないかと思います。そんなときこそ,当社の冬休み帳でじっくり工作に取り組んでみたり,お正月の記事をきっかけにしておじいちゃん,おばあちゃんに自分の住んでいる地域の伝統行事を教えてもらい,語らいの機会を増やしてみたりできるのではないでしょうか。
冬休み帳,お求めはしんきょうネットまでどうぞ。
TY
2021年10月01日
(※参考文献…井上靖著『敦煌』新潮社)
2021年08月27日
雨が降りそうだなあと思いながら,今日を逃したら終了してしまうと思い家を出た。
7月10日から8月22日まで,長野県立歴史館で開催されていた企画展,「青少年義勇軍が見た満州 ―創られた大陸の夢―」。信濃教育会のエントランスホールでチラシを見つけて以来,急かされるように行かなければ,と思い続けながら一日延ばしにしてきて,明日が終了日だった。
父は,14才の時,青少年義勇軍の一員として当時の満州に渡った。九死に一生を得て帰国を果たし,その後は,たぶんごく普通の人生を送ったのだと思う。ただ,当時の記憶は消し難いもので,時折満州の話をすることがあった。父が所属していた頓所中隊の仲間と作った拓友会という会の活動を精力的に行い,会では体験集を出版し,慰霊のために中国に行き,父たちの体験をもとにした映画も作られ,テレビのドキュメンタリーにも出演した。
父の話で覚えているのは,満州で見た地平線に沈む信じられないくらい大きな真っ赤な夕日の話。ソ連の参戦による逃避行の話。木の根を食べて何とか命をつないだこと。動けなくなった友達を置いてきてしまったこと。たどり着いた収容所,厳寒の中,毎日のように友が死んでいったこと。弱ってきた父の面倒を一生懸命みてくれた友のこと。何とか助かりそうな子どもを中国人に預けることになり,最後に名前を呼ばれたこと(収容所に残された子どもたちは一人も春まで生き延びられなかったそうだ)。中国の人々がとても親切だったこと。
そのくらいのことしか,私は知らない。若いころ,私は父の満州の話を聞くのが嫌いだった。曰く言い難い迫力というか,いつもの父と違ったまなざしというか,父の特別というか,今の家族との生活とは全く違う世界を感じたからではないかと思う。そして今,やっと当時のことを,父の人生を知りたいと思うようになった。
私の祖父は,教師だった。通常,満州へ行けば広大な土地を手に入れられると聞かされ,農家の二男,三男が多く参加を決めたといわれているが,父はどうだったのだろう。衛生兵につけていずれは医者にするということだったと聞いているが,勧誘者側である教師の子どもの父の参加は,勧誘にいいように使われなかったのだろうか。祖父はどう思っていたのだろう。今ならじっくりと父の話に耳を傾けることができるだろうに,父はもういない。
父が亡くなった折,私は満州にかかわる様々が詰まった段ボールをいくつか母から預かった。生前,父はいつか本を出したいと言っていたのに,私は何もできなかった。もう何年もたつが,預かった資料はそのままである。
信教出版には,今までの集大成として本を出したいと尋ねてくださる先生方が何人もいらっしゃる。昨年も今年も何冊かの書籍を出版することができた。しかし,持ち込んでいただく原稿だけでなく,消えていってしまいそうなさまざまな事柄についてテーマを見つけ,地道に考え続け,形にすることも私たちの重要な役割ではないかと思う。奮起したい。